世界のスタンダードに合わせるほうが得
しかし、サービス産業が中心の社会になると、多様な人が多様なアイデアを出し合って価値が生み出されていくわけですから、暗黙の了解だけでは立ち行きません。事細かい説明が必要になってきます。
以前、僕が海外勤務をしていたときの話ですが、とある国の政府とローン契約を取り交わした際の契約書は50枚にも及ぶ分厚いものでした。こういう場合にはこうする、という取り決めがびっしりと書き込まれていました。そういう分厚い契約書があるほうが実は楽なのです。トラブルが起きた場合にもかえって安心です。
あるいは、きちんとしたマニュアルがあるほうが、「背中を見て学べ」よりも生産性が上がります。何か分からないことがあるたびに聞きに来られて、いちいちそれを教えているようでは生産性があがりません。
すでに世界の先進国はサービス産業が中心の社会に移行しており、分厚い契約書や詳細なマニュアルも「英語」と同じくらい世界的なスタンダードになっています。国と国との関係も、昔に比べるとはるかに密接になりました。日本だけが暗黙の了解ですませられる時代ではもはやなくなったのです。
日本の産業で、アメリカを超える世界水準の生産性を誇っているのは自動車と一般機械など、全体の1割程度です。残りの9割は世界のスタンダードに合わせて生産性の向上に努めるほうが得だということです。分厚い契約書、細かいマニュアルをとり入れるほうが、生産性が上がるのです。
暗黙の了解がコミュニケーション効率のよさを意味すると、日本人は錯覚しているのではないでしょうか。工場モデルで、人間がベルトコンベアに合わせて、何も考えずに黙々と働く環境であればそれでよかった。しかし、アイデアを競う社会では通用しません。人々は頭を使わなければなりません。広い意味でのコミュニケーションのあり方を抜本的に見直す必要があると感じています。(出口治明)