大ニュースである。この私がなんと、美容や外見などのコンプレックスについて考える某ウェブメディアのアンバサダー(大使)に就任することになった。
一昨年から美容整形に精を出し、正確には覚えていないが百万単位の金をつぎこみ、身をもってコラムや体験記事を書いてきたかいがあったというものだ。アンバサダーといってもサイトの内容に口を出したり、美容整形する人が増えるよう扇動したりするわけではない。美やコンプレックスをめぐる現状を考えるきっかけづくりを、いろんなところでやっていく実験台のようなものだ。
キレイになるためにお金を使うことへの罪悪感
これまで「きれいになりたい」とか、「コンプレックスを解消したい」といった理由で散々お金を使ってきたが、そのたびに批判も受けてきた。美容整形したいと主張して実行に移しただけで「整形依存症だ」と「ビョーキ」扱いするものや、「痛々しい」「整形してもブス、ババア」と、整形する人間自体を揶揄するようなものである。
私に限らず、美容整形を公表した人は必ずといっていいほどこうした悪口に直面する。なぜ、お金を出してキレイになろうとすることが非難やからかいに結びつくのであろうか――。
そういえば、「私、美人になりたいんです!」と声高に主張し、「だから○○万円かけてこの施術を受けました」と公言する女はあまりいない。美人な知り合いたちが裏でこっそり美容クリニックに通っているのを私は知っているが、彼女たちはそれを「人目に隠れてする、ちょっとうしろめたい努力」と位置づけているようなのである。美しくなるためにお金を使う行為には、少なからず罪悪感を伴うのだ。
美人はメリットが大きすぎる!?
拙著「整形した女は幸せになっているのか」でインタビューした作家の中村うさぎさんによると、「美というのは権力だから、それをお金で手に入れようとする行為には非難が集まるのだ」という。
「人は見た目が9割」とか、「女は見た目が100%」なんてタイトルの本が売れる時代だ。確かに、外見がよい人はそれだけで得をする。いわば美しい人は特権階級。その特権を金にあかして手に入れようなんてずるい、許せないということか。レーシックや歯並びの矯正は批判されないのに、美容整形だけこんなにも批判されるのは、前者に比べて美容整形のもたらす審美的効果があまりに大きいからだろう。金にあかして美のカーストを上昇させようなんて浅ましい・・・なるほど理解できる。
でも私はやめられない。なぜって、キレイになりたいと公言するのは、とても気持ちがいいし、今まで隠していた本音を暴露するような開放感があるからだ。
別に皆が美人を目指さなくてもいいし、美容整形が最高だとも思わないが、せめて「わたしゃキレイになりたい」と主張して選択肢のひとつに美容整形を選ぶ人がいても、浅ましいとかビョーキだなんて言われない世の中にならないものかなと思う・・・「大使」らしく偉そうなことを言ってみたが、まだまだ難しいかな。(北条かや)