大ニュースである。この私がなんと、美容や外見などのコンプレックスについて考える某ウェブメディアのアンバサダー(大使)に就任することになった。
一昨年から美容整形に精を出し、正確には覚えていないが百万単位の金をつぎこみ、身をもってコラムや体験記事を書いてきたかいがあったというものだ。アンバサダーといってもサイトの内容に口を出したり、美容整形する人が増えるよう扇動したりするわけではない。美やコンプレックスをめぐる現状を考えるきっかけづくりを、いろんなところでやっていく実験台のようなものだ。
キレイになるためにお金を使うことへの罪悪感
これまで「きれいになりたい」とか、「コンプレックスを解消したい」といった理由で散々お金を使ってきたが、そのたびに批判も受けてきた。美容整形したいと主張して実行に移しただけで「整形依存症だ」と「ビョーキ」扱いするものや、「痛々しい」「整形してもブス、ババア」と、整形する人間自体を揶揄するようなものである。
私に限らず、美容整形を公表した人は必ずといっていいほどこうした悪口に直面する。なぜ、お金を出してキレイになろうとすることが非難やからかいに結びつくのであろうか――。
そういえば、「私、美人になりたいんです!」と声高に主張し、「だから○○万円かけてこの施術を受けました」と公言する女はあまりいない。美人な知り合いたちが裏でこっそり美容クリニックに通っているのを私は知っているが、彼女たちはそれを「人目に隠れてする、ちょっとうしろめたい努力」と位置づけているようなのである。美しくなるためにお金を使う行為には、少なからず罪悪感を伴うのだ。