わが家の墓は京都の大谷本廟にある。浄土真宗本願寺派(西本願寺)の宗祖親鸞の墓所で、通称「西大谷」と呼ばれている。東山の麓で、近くに清水寺があり、環境は抜群である。「墓は西大谷に」と言えば、聞こえはいい。だけど、中身はたいしたものではない。
懐かしむ気持ちが湧いてこない
写真はその墓参りの様子である。墓は山の斜面を地下7階くらいまで掘り下げたビルの中にある。長屋式あるいはアパート式といった感じで、鍵を使って上半分の扉を開けると、中は仏壇のようになっている。下半分には骨つぼが入っている。
わが家の墓はもともと和歌山県の山中にあったのだが、母が「死んでから、あんな寂しい所に行きたくない」と、京都に移してしまった。
この長屋式の墓は維持するのに手間が掛からない。それが利点と言えば利点である。ただ、別の見方をすると、コインロッカーに預けてある骨つぼに向かって手を合わせている感じがしないでもない。両親や祖父母には申し訳ないけど、亡き人を懐かしむような気持ちが、いまひとつ湧いてこない。
僕が死んだあと、子供や孫たちがやってきても、同じように感じるのではないか。かと言って、普通の墓だと墓石を洗ったり、雑草を抜いたり、手間が掛かる。