このところ行く先々での話題はトランプ米大統領一色です。経営者の皆さんの反応は、「突っ走り過ぎ」「相手の話も聞かずに一方的過ぎる」「もっと周囲とも相談して慎重にことを進めるべき」などなど、批判的なコメントばかりで好意的な評価は全く聞かれません。結論として出てくるのは、「あれじゃ国民の信頼は得られない」「国民はついてこない」という嘆きです。
「社員になんと思われようが」
「あれ? 社長、ヒトのこと言えましたっけ?」――大きい声じゃ言えませんが、程度の差こそあれトランプ大統領タイプの経営者も少なからず交じっていたような......。オーナー系企業の社長は、ややもすると社員たちから「突っ走りすぎ」「一方的過ぎる」「もっと周囲と相談するべき」と裏で反発を買っているケースがけっこう多いですから。
コンサルティングの現場で社員からそのような声が漏れ聞こえた際には、「社長、社員からこんなふうに思われているかもしれませんから、少し気をつけましょう」と具申します。しかしながら、その助言に従ってくれるケースはほとんどなく、例えば今回トランプ大統領を強い口調で批判していたR社長なども、以前、
「私は社長だ。社員になんと思われようが、会社を守るのが私の仕事」
と助言を突っぱねたものです。
R社長の言葉から察するに、
オーナー社長は誰より会社のことを思っている
↓
社員が何を思うにしても、所詮社長の立場の考えには及ばず、社長の真意を理解できない
↓
だから、自分は自分の考えに従って物事を進める
という論理展開のようです。端からは、自身が「突っ走り過ぎ」「一方的過ぎる」「もっと周囲と相談するべき」と批判的に見ているトランプ大統領と何ら変わらないように見えます。
大統領は共和制の最高権力者であり、強大な権限である大統領令を持つところから、オーナー社長的といえるでしょう(対する日本の首相は、合議制に基づくサラリーマン社長的ともいえましょうか)。この大統領タイプのオーナー経営者であるR社長が今回、「トランプを批判するのはおかしい。大統領として国を思う気持ちは本当によく分かるよ」と言うなら話は分かりますが、そうならないのはなぜなのか。ちょっと不思議に思えました。
当事者になると欠如する「共感力」
「共感力」という言葉があります。一般的には相手の立場に立って理解し、感じ、考えることができる能力のことです。この「共感力」、第三者として事象を見る時には、立場の弱い側に身を置いて、強い側の行いを批判的にチェックするという形で発揮されるのですが、当時者として事象に向き合う時に、弱い立場に立って共感的にモノが見られるかというと、これが案外難しいのだそうです
要するにR社長は、やりたい放題のトランプ大統領のやり方を第三者的立場から批判的に見られはするものの、当事者たるオーナー社長の立場となると話が違ってくる。社員の立場に立って考えたり、社員と相談して彼らの考えを踏まえたりする姿勢を、どうしても欠いてしまうということのようです。
企業経営者のコミュニケーション能力を高める手伝いをされている椎名規夫氏は、著書『人を動かす力』の中で「共感力」を発揮することの行き着く先を、
「相手から『この人だったらわかってくれる』『この人だったら信頼できる』と感じてもらうこと」
と表現しています。つまり、相手の立場に立って共感できるか否かは、リーダーとしてメンバーたちから信頼を得たり、組織において求心力を保ったりする上できわめて重要ということなのです。
トランプ大統領の就任早々の支持率が史上最低レベルにあるというのは、まさしく彼の「共感力」の乏しさが国民の信頼を損なっている証拠といえるでしょう。同様にR社長がその欠如に気づかないまま進んでいくとしたら、社員の支持を失い信頼感を損ねて、求心力を弱めてしまう危険性は小さくないと見ることもできそうです。
「人のフリ見て我がフリ直せ」とは昔からの格言ですが、「人のフリを見ること」がストレートに「我がフリに気づくこと」に結びつかないのが「共感力」欠如の特徴なのかもしれません。
トランプ大統領の振る舞いを見て批判的な意見をお持ちの経営者の皆さん。その意見の当否とは別に、自らのうちにトランプ的な姿勢・言動がありはしないか、思い当たる節はないか、今一度考えてみられることをお勧めします。「私とトランプ大統領って、どこか似ていませんか」と周囲の人に聞いてみるのも一考です。(大関暁夫)