政府が長時間残業対策として、残業時間に上限をつくる方向で検討に入っていると報じられた。民進党の対策法案も残業時間に上限をつくることが柱となっているから、どっちに転んでも残業に上限が設けられることになりそうだ。
これでめでたく「日本の長時間残業は抑制され、過労死もなくなる」というハッピーエンドになるのだろうか。残念ながら長時間残業は抑制できても、過労死自体は減らないだろうというのが筆者の見方だ。
残業する人には2パターンある
ざっくり言って、残業をいっぱいする人には以下の2パターンある。
(1)残業代欲しさにチンタラ残業する生活残業マン
全く成果があげられず、賞与や昇給に対して期待できない人材でも、夜遅くまで机に座っているだけでご褒美が貰えるというのが日本の残業システムだ。というわけで実際、少なくない数の人たちがこの制度の恩恵を受けている(※)。
(2)有能ゆえに仕事が集まってくる悲劇の人
日本企業では、職能給という属人給が一般的であり、個人の担当業務範囲はまったく確定していない。このシステムでは、各人が協力して作業を進めやすいというメリットもあるが、逆に効率の良い人の所にどんどん仕事が集まってしまうというデメリットもある。
筆者の経験で言うと、健康を損ねるほどに働く人というのはほぼ100%こちらのパターンのように思う(生活残業マンは風邪ひいただけですぐに帰るほどセルフコンディショニングに余念がない)。
抜本的に見直すためには
ここで、たとえば「残業は月に50時間まで!」という例外なしの上限が出来たらどうなるだろうか。"生活残業マン"は「はいそうですか」といって月50時間残業にきっちり抑えることだろう。
でも、山のような仕事を抱えている(2)の悲劇の人は(もともとチンタラ働いていたわけではないから)残業を削減できる余地はほとんどない。結果、タイムカードを切らない、家に持ち帰るなどの抜け穴を使ったサービス残業が蔓延することになるはずだ。
確かに、厚労省の作成する統計上は(給与支払いベースゆえに)残業時間は劇的に減少するだろう。政府も「働き方改革、大成功」と胸を張るに違いない。でも、もともと過労死なんてするはずのない生活残業マンの残業を減らしたところで、2番の悲劇の人がサービス残業に走っている状況では、過労死リスクが減ることはないだろう。
結局のところ、
(1)残業時間の上限を設けるのと同時に解雇規制も緩和、人を雇いやすくする
(2)ホワイトカラーについては時給管理を外し、成果に対して報酬を出す仕組みに切り替える
をセットで導入する以外、抜本的に残業文化を見直す道はないというのが筆者の意見だ。(城繁幸)
※もっとも、彼らの手にする残業代は従業員みんなの人件費から出ているわけで、従業員みんなでカンパして、遅くまで残っていた人にプレゼントしているようなものなので、従業員全体で見れば損でも得でもない。早く帰った人がお金で損をし、遅くまで残った人が人生を無駄にしているだけのことだ。