今年もこの時期、元気のよい若手数人のビジネスパーソンが酒場で気炎をあげているのに遭遇した。忘年会の二次会らしく大声で仲間内の「悪口評価会」が始まった。
かえってストレスが増しているのでは
「あいつは無能。ダメだ」
「あの男はいい奴だが、いまいち」
「A課長、人柄はいいが仕事が遅い」
「同期のC、係長になってから威張り始めた」
などなどと続く。
しかし、話をまとめてみると、評価の高い人は「自分にとってプラスになる人」で、低い人は「マイナスになる人」ということだけのようにも聞こえる。つまり「自分と比べてみて、さらに得になるかどうか」の相対的評価にすぎない。これでは、問題点の指摘や改善といったまじめな議論には結びつかない。
さらに、それが「ストレス解消」になっているかといえば、「悪口」を言っている面々がだんだん興奮して、酒量が増えて、最後には「悪酔い状態」になってしまったところを見ると、どうも怪しい。みんながみんなそうではないと思うが、このグループはむしろストレスが増加しているように思える。こんな調子では、悪口を言い募った「ダメな奴」が自分よりも早く昇格したりすると、逆にダメージが大きく、「うつ」になったりするのではないかと心配になる。
学術的研究でも、こうした悪口や暴飲暴食などの「発散型ストレス解消法」は効果に結び付かないといわれている。また、自分を他者と比較する相対評価からは、充実感や満足感は得られないとされる。それでいつもモヤモヤや不満足感が漂うことになる。誰とも比較することなく、常に絶対的な基準で全体としての自分を評価し、満足できるような人は少ないからである。
同僚と酒を飲むと、主題が「人の悪口」に、副題が「職場をよくするために」になり、議論が進む。例えば、
主題「あいつはダメな奴だ」
副題「おっ、誤解しないでくれ、俺の感情で、好き嫌いで言っているのではない」
主題「やっぱり俺より見劣る」
副題「そうそう、会社をよくするために言っているんだ」
人の悪口を言うと「うしろめたさ」が少々つきまとう。だから自己弁護するように建て前としての「崇高な理念」や「公共の福祉」が付随的に使用される。