いったい、日本人が過労死するほど長時間働くようになったのはどうしてでしょうか。
戦後の日本経済を牽引したのは、第2次産業を中心とした「工場モデル」でした。自動車、電機、電子など、比較的国際競争力の高い産業を中心に、多くの優れた製品を世界に送り出し、高い経済成長を実現しました。
工場モデルが性分業を生んだ
工場の理想は、産業革命以来24時間操業です。生産ラインを効率よく稼動させ、付加価値を最大にするには、女性よりも、筋力のある男性がラインを動かすほうがいい。極論すれば、生産ラインが主役で、ラインを動かす人間は添え物です。生産ラインの現場では、不平不満を言う人間が疎んじられるため、「理屈っぽいやつはいらん」「何でも言うことを聞く体育会系がいい」ということになり、長時間黙ってよく働く従順で協調性の高い人材が重宝されました。そうなると、「飯、風呂、寝る」の男性が長時間労働を受け持ち、女性は家でそれを支える性分業のほうが社会全体としては効率性が高い。
女性には、たとえ4年制の大学を卒業しても「ばりばり働きたい」などと言い出さないよう、結婚したら退職するんですよと社会全体で意識付けをし(寿退社)、同時に第3号被保険者や配偶者控除などの優遇制度を講じ、アメを与えました。結果として、第2次産業の大企業が育ち、日本は高度成長を実現しました。
今、日本の経済はこのような製造業中心の社会からサービス産業中心の社会へと様変わりをしています。男性が外で働き女性が家庭を守るという性分業も、当然ながら変わらざるを得ません。僕に言わせれば、「飯、風呂、寝る」の労働慣行から「人、本、旅」で勉強するライフスタイルへの移行が求められているのです。
たとえばある出版社にA君、B君2人の編集者がいるとしましょう。A君は朝8時に出勤して夜10時までえんえんと仕事をしますが、彼のつくる本はあまり売れません。B君は10時にようやく姿を現し、すぐに喫茶店へ。6時になるとさっさと飲みに行き、それでいてベストセラーを連発します。さて、どちらが評価されるでしょうか。
「少ししゃくだけどB君」そう答える人が多いのではないでしょうか。サービスを競う社会では、アイデアが付加価値を生み出します。どうすればいいアイデアが得られるかが勝負なのです。いくら長く働いてもアイデアが出なければ話になりません。
しかし、考えてほしいのは、この出版社が工場なら、評価されるのはA君だということです。このように産業構造が変化したら、働き方も変わらざるを得ないのです。