アテネで宝石店に立ち寄った話をしましたが、僕は変わった物や珍しい物が売っている店があると、入ってみたくなるのです。手にとって「ほう、こんなにするんだ」と値段を確かめたり。でも、めったに買いません。およそ物には執着がないのです。
混じっていた「見たことのない風景」
30歳のときに腕時計を捨てました。べつに腕時計をしていなくても、日常生活で困ることはほとんどありません。今では、携帯電話で事が足りますし。
若いころは、本と同じようにLPレコードをたくさん買っていて、オーディオにも一時、すごく凝っていました。アンプはこれ、レコード針はこれ、とこだわっていたのですけれど、それも海外赴任を機に本と一緒に売ってしまいました。
かつては旅には必ずカメラを持っていきました。一眼レフの比較的大きなカメラです。交換レンズもいくつかかばんに入っています。土地土地の景色や風物を写真に収め、作品を住んでいた地域の展覧会に出品したりするぐらい入れ込んでいた時期がありました。
アンダルシアのアルハンブラ宮殿に行ったときのことです。数々の建築物、美しい装飾、周囲の風景など、僕は夢中になって撮影しました。日本に帰り、整理してみると2、300枚はあったでしょうか。
それらを一点一点見ていると、中に「見たことのない風景」が混じっているのに気づきました。「この写真、どこで撮ったのだろうか」。撮影したことを覚えていないのです。
僕は、はっとしました。「いい写真を撮りたい」という気持ちに囚われ、「見ること」がまったくおろそかになっていたのです。
せっかくはるか遠くの地まで足を運び、歴史的な遺跡を目にして、その美しさに触れるチャンスが存分にあったのに、カメラに気を取られ、十分に味わってはいなかったのです。なんともったいないことでしょう。
僕はそれを機にカメラを捨てました。今の言葉でいえば「断捨離」です。今は旅に出たら、ぼんやり眺めるだけで、そのほうがはるかに楽しい。かばんも軽くなり、気持ちもすごく楽になります。