確かに「見極める力」がつき
「ときめく or ときめかない」は、物に対する恋心の有無かもしれない。古いけれども情が湧く服は、『古女房』や『濡れ落ち葉亭主』のようなものだろうか。ときめきはないが情はある。だから残しておこう......とはならず、あっさり切り捨てるのが「こんまり流」であるが。
結局、クローゼットの中から引っ張り出した「ときめかない物」は、45リットルのゴミ袋1つ分に膨れ上がった。捨ててしまおうかと思ったが、セコイ私はゴミ袋をリサイクルショップへ持ち込んだ。「買取価格が分かりましたら、番号札でお呼びします」と言われ、待つこと15分。
「いくらになりますか?」「10円ですね~」......え? そんなもの? せめて100円くらいにはなると思っていたのに。「状態によってお買取できないものもありましたので」と、きわめて業務的なこの店員もきっと、鑑定しながら「1つも『ときめく』物がないな、ゴミばっかり」と舌打ちしていたに違いない。
手渡された10円玉を小銭入れにしまい込み、帰りに「ファッションセンターしまむら」へ寄った。ほんの暇つぶしのつもりが、なぜか「素敵な服」がいつもよりたくさん見つかる。
ハッと気づいた。 服への「ときめき」を判断する力は、物を捨てる際にも有効だが、買うときにまで発揮されてしまうのである。「これ、ときめくから欲しい!」と、私はまた服を買ってしまう。ときめきを判断する力を研ぎ澄ました結果、目が肥えて欲しいものも増えたのである。 結局、10円の儲けどころか3000円超の赤字。トホホな断捨離であった。(北条かや)