監査法人に勤める会計士のTさんに紹介された、とある老舗上場企業の3代目S社長。Tさんからは、「すごく優秀な経営者なのだが、内にも外にもアピールが下手。だから会社は実態以上に地味なイメージです。本人も自分を変えて会社のイメージも変えていきたいとおっしゃっているので、いいアイデアがあればその手伝いをしてあげてほしい」と言われ、お訪ねしました。
「やはり自然体がいいな」と
実際にお目にかかると、一見して「なるほど」と頷ける地味な出で立ちでした。グレーの、やや着古した感が漂うスーツに、グレーのネクタイ。ワイシャツも白地に薄い柄の入った既製品でした。Tさんからの依頼もあり、あえて直球質問をぶつけてみました。
「初対面で大変失礼ですが、お見かけしたところ大変地味な風貌といった感じがするのですが、社長ご自身お好みのスタイルでしょうか」
S氏は私の不躾な質問を気にする風もなく、こう答えます。
「はい。地味だと言われますね。秘書からも、家族からも。社長は会社の顔だから、もっと明るい服装にしてほしいとか、宴会の席でどさくさ紛れにハッキリ言う女子社員もいたりして、自分でも変えてみようと何度か思ったものです。でも周りの目がどう思うか。服装なんか気にして、などと思われるのが嫌で。自然体がいいなとやっぱり思うのです」
どうやら日常の服装から手をつけるのはハードルが高そうだ、と思った私がその場で思いついた提案は、プロのスタイリストを付けて写真を撮りませんか、というものでした。撮った写真を名刺や会社案内、ホームページに使って、まずその辺りから変えてみる。少なくとも名刺に明るい服装の写真を入れれば、本人も毎日目にするでしょうから、次第に名刺のイメージを基準にした服装に近づけようとするのではないか、と思ったのです。
しかし、きっぱりと断られたわけではなかったものの、「僕はそもそも写真を撮られるのが嫌いでしてね。考えさせてください」と、その場での応諾は得られませんでした。
なぜ人は変われないのか
ハーバード大学ロバート・キーガン教授らの著書『なぜ人と組織は変われないのか』に、こんな指摘があります。
「食生活を改めたり、運動したり、喫煙をやめたりしなければ死に至る、と医者から警告を受けても、実際にそのように自分を変えることのできる人は7人に1人にすぎない。残りの6人も、決して長生きしたくないわけではないし、自己変革の重要性を理解していないわけでもない。何を変えればいいかの道筋も明確に示されている。それでも変えられない。自分の命に係わるようなことでさえ自己変革を成し遂げられないのだから、リーダーが自己変革に挑むのは大変に難しい」
キーガン教授はその理由を、
「人は常になんらかの『裏の目標』に突き動かされているから」
としています。さらに「その『裏の目標』はあなたの意識の産物である」とも。
「裏の目標」とは、人が生まれながらに持っている、あるいは何かのトラウマに起因する、ある種の潜在意識と言えるものかもしれません。S社長には、自分を変えることで会社のイメージも変えたいという「表の目標」がある一方、飾り気のない自然体の自分に見られたいという「裏の目標」もあり、結果として今の服装選択に至っているといえます。
結論としてキーガン教授は、
「『裏の目標』に対処する能力を磨かなければ自己変革もその先にある組織変革も成し遂げられない」
と主張しています。そのためには「裏の目標」の見える化が不可欠であり、自分が「裏の目標」を見ようとしない、あるいは見せようとしないなら、問題は決して解決しない、というのです。タバコをやめた7人に1人は見える化ができた人なのです。
高齢社長にも「裏」がある
たとえば、高齢になった創業社長が「後継さえ育ってくれれば、いつでも実権は譲る」と言いながら、簡単には後継に実権を譲らないというのはよくある話。これもまた「早く譲って楽をしたい」という「表の目標」がありながら、「自分の力で物事を実現したい」「常に状況をコントロールしていたい」「今の状況を手放して不安を感じたくない」などの「裏の目標」が邪魔をして、その実現を妨げていると見ることができます。
このケースでは、誰かが「裏の目標」の存在を社長にしっかりと認識させ、自らの言葉で「表の目標」と「裏の目標」の両方を口にさせることから始めなくてはいけないのかもしれません。それができるのは、おそらく後継候補など限られた人でしょうが、実権を譲らない高齢トップをいただく組織にとって、これは大きなヒントになりそうです。
S社長はすでに「裏の目標」を自ら口にして見える化しているので、写真撮影のオファーを投げかけ続けていけば、あとは時間が解決するのではないでしょうか。根気よく、写真撮影のお誘いをしてみたいと思います。(大関暁夫)