やはり20代の頃、ふらりとアテネに行き、ジーパンにTシャツで街を歩いていたら宝石店がありました。名前に見覚えがあって、たしか大富豪オナシス夫人のジャクリーヌさんらがひいきにしている店だなと思い、ものは試しと扉を押してみました。
ごちそうのために節約を試みた
中にはびしっとしたスーツに身を固めた紳士がいて、
「この店は少々お高うございます」
と言われました。僕が「今はお金がないけれども、10年ぐらいしたらお金持ちになっているかもしれない。ちょっと見せてもらえないだろうか」と聞くと、その紳士は、
「10年後を楽しみにしております」
と微笑んで、店内をていねいに案内してくれました。とても手の届かない値段の、素晴らしい宝石や金細工をじかに見ることができたのは、自分にとってたいへん貴重な経験になりました。もっとも、その後もお金に縁がなく、その店に再訪するという紳士との約束は破ってしまったのですが......。
日常からちょっと離れたところにある「違う世界」を見ることも、ときには大切なことではないでしょうか。そのためにお金を奮発することがあってもいい。
学生時代、京都の有名なお寺をめぐったり、街を散歩したりしていると、おいしそうな食べ物屋さんが目に留まります。食べてみたくなるじゃないですか。メニューを見ると、決して安くはありません。でも、頭の中で計算してみると、毎日の食費を節約すれば、月に一度ぐらいはひねり出せないことはない金額でした。街の食堂で食べるのを控えて、3食すべて生協の学食を利用すれば、その差額で月3000円ぐらいは浮かすことができました。
明日には奨学金が入るぞという日、僕は比較的きちんとした服を着て、お目当ての店に出かけました。そこでおいしい料理をお腹いっぱい食べて、「ああ、よかったなあ」と満足したものです。
べつに「贅沢をしろ」というのではありません。自分の好奇心に従い、日常とは違う「現場」を見たり味わったりするために使うお金は、けっして無駄にならないと僕は思うのです。自分を賢くする、成長させる機会を、お金を惜しんで逃す手はないと思います。
「あいにく満席でございます」
海外勤務を経験したことがある企業の経営者や役員の人たちと話をしているときに、耳にすることがあります。
「海外での生活で迎えのハイヤーに慣れると、今さらバスや地下鉄なんかには乗れない」
と。元のレベルに戻れない、戻りたくないと言うのです。
僕もたった3年でしたがロンドンに赴任していた経験があるのですが、僕は全くもって平気でした。バスでも地下鉄でもタクシーでもかまわないし、むしろそういうものに乗らないと分からない、現地の人々の暮らしというものが確かにあると思うのです。
初夏のロンドンを、やはりジーパンとTシャツで歩いていたら、「クラリッジス」という由緒正しいホテルの前を通りかかりました。暑い日で喉も渇いていたのでアフタヌーンティーでも、と覗いてみると、席はがらがらです。ところが、ボーイはにっこり笑って、
「申し訳ございませんが、あいにく満席で......」
と言うのです。ピンときた僕は急いで家に戻り、スーツに着替え、自らハンドルを握って車でクラリッジスの玄関に乗りつけました。1時間もたってはいなかったと思います。
同じボーイがにっこりと笑い、
「ちょうどいい席が空いたところでございます」
と僕を案内してくれました。
百聞は一見に如かず。自分が必要だと思うものには、惜しまずお金を払えばいい。お金は手段に過ぎないのですから。(出口治明)