研修企画会社の担当者Iさんとの打ち合わせの中で、こんな相談を受けました。
「最近の若い管理者はとにかく叱れないのですよ。当社の目下最大のテーマは、管理者向けの『部下を叱る』指導です。何かいいアイデアはありませんでしょうか」
そう聞かれた私は、頭の中で答えを探しながら、ひとつ思い出したことがありました。それは少し前に聞いた、後輩の人事コンサルタント氏のこんなボヤキでした。
一方がすっぽり抜け落ち
「オーナー企業のトップというのはなんでこうも自分勝手で直情的なのでしょう。いくら繰り返しお願いしても部下をほめることをせず、とにかく叱る、怒るの一辺倒。こういうタイプが実に多い。これでは、組織は引っ張ることができても、下が育ちません」
叱れない上司にほめられない社長。好対照のふたつの事象にそれぞれ頭を悩ます人がいるというわけです。
子供の教育でも言われることですが、指導される側のやる気を上げつつ成長に向かわせる黄金比率は「ほめる:叱る=3:1」とされています。叱れない上司も、ほめられない社長も、大切な要素の一方がすっぽり抜け落ちてしまっているわけですから、そのままでは部下の成長はなかなか望めません。
私がコンサルタントとして携わった企業にも、叱れない上司やほめられない社長が少なからず存在し、私なりに彼らの行動改善を支援してきました。その過程で、叱れない、ほめられない理由を探ってみようと当事者からいろいろ話を聞いてみて、象徴的と思われるいくつかの回答を得ました。
どちらも意味を履き違え
まず、叱れない上司。
「叱ってしまうと、人間関係が悪くなってしまうのではないかと懸念する」
「叱り方の度合いがよくわからない。行き過ぎてしまう心配がある」
「叱ることの必要性がみえない」
次にほめられない社長。
「ほめるようなことが見当たらない」
「ほめて調子に乗られることのほうが心配」
「変にほめると、ほかの社員から依怙贔屓(えこひいき)をしているように思われそう」
はっきり言ってどちらも「叱る」「ほめる」という言葉の意味を履き違えているように思いました。つまり「叱る」については「怒る」との履き違えが、「ほめる」については「おだてる」との履き違えがあるのではないか。どちらも現実をきちんと見据えた上での理性的行為であるべきところを履き違え、現実から逃げ、私情に流されているのではないかと思わされることが実に多いのです。
では意味を履き違えた原因はどこにあるのか。普段の彼らの言動と合わせて考えてみて、結局のところ両者とも自分目線でしか物を見ていないという共通点に行き着いたのです。
叱れない上司は、自分が嫌われたくない、嫌な思いをしたくない、自分が上から叱られたくない、という自分目線。ほめられない社長は、自分の評価基準からはほめるに値しない、自分はそのとばっちりを受けたくない、という自分目線です。
「そうやって考えると、『叱れない』も『ほめられない』も結局は同じ原因なのですよ」
私がIさんにそう話をすると彼は、「自分目線ですか。要するにリーダーシップの欠如ですね...」とうなずきながら、ひとつの新たな気づきを得たように続けました。
実は「上」にも損失がある
「上に立つ人間の『叱れない』『ほめられない』という行為は、表面的に見てしまうと部下教育や部下育成の機会損失であるということに終始しがちなのですが、実は上司側から見たときに彼らにも損失があるのではないかと。すなわち部下の育成機会を逸することは、上司にとってはリーダーシップの発揮機会の損失になりませんか」
叱らない、ほめないという行為は、試しに叱ってみよう、試しにほめてみようという行為を排除するものであり、どのみち自分にはプラスに働かないだろうという結論に、勝手に至ってしまっているのです。やってみないどうなるか分からない不確実なものをあえて受け入れてこそリーダーシップは発揮できるのであり、不確実さを引き受ける機会を排除してしまうことは、確かにIさんが言うように、リーダーシップの発揮機会をも逃していると私も思いました。
脳科学者の茂木健一郎氏は著書『ひらめき脳』の中で、「不確実性は感情を活性化させる」という言い方で、不確実なものを自分に受け入れることのメリットを強調しています。不確実の中に身を置くことで自身の感情を活性化させ、リーダーシップ意識を高めていく、そのためにも叱ること、ほめることが必要なのだと、茂木氏の理論からも思わされるところです。
「叱れない上司教育を、あるべき部下指導という観点からどうするかとばかり考えていたのですが、これはあるべきリーダーシップという研修の中でしっかりと教えていくほうが、効果がありそうです」
Iさんは、私との一連のやり取りから、何か有力なヒントをつかんだようでした。私もまた、いつか、ほめられない社長を見かけた際には、リーダーシップの観点からご意見申し上げるようにしたいと思います。(大関暁夫)