やはり実力不問との混同が
毎日新聞社の学歴不問採用について、作家の小中陽太郎氏はマスコミ批評の雑誌「創」1979年4月号のコラム「学歴不問と言うけれど...」で、同社の試験問題を取り上げ、
「その(採用試験問題の)選択の節は、やはり学歴社会で学んだ基準に近い」
と批判しています。その一例に「刑事訴訟法の逮捕後の送検手続き」を挙げ、「これがすぐわかるのは大学の法学部か、現場の警官ぐらいである」と非難します。
だが、この小中氏の批判は、いささか暴論ではないでしょうか。
たとえば、あるスポーツ選手が麻薬所持容疑で逮捕されたとします。刑事訴訟法を理解していないスポーツ紙記者は、その後の展開がどうなるか全く読めないに違いありません。ところが、新人記者の育成が警察担当(俗に言うサツ回り)から始まる全国紙・地方紙記者はどうでしょうか。
「警察は、逮捕状に基づいて被疑者を逮捕し、留置の必要があると判断した場合は 48時間以内に検察官へ身柄を送致しなければならない。検察官は、弁解の機会を与え、留置の必要があると考えるときは 24時間以内に裁判官に勾留を請求しなければならない」
という刑事訴訟法を熟知していて、どのタイミングで何を取材すればいいか、勘どころを押さえています。
毎日新聞社であっても、それ以外の新聞やマスコミ各社でも、志望者が最初から刑事訴訟法をそらんじていることなど要求していません。が、入社後には刑事訴訟法を含め、複雑な法理や膨大な資料を読み解く能力が求められます。少なくともその素養を備えていてほしい、と望むがゆえの出題です。
つまり、学歴不問採用と銘打っても、それはけっして実力不問採用ではありません(これ、前回も書きましたが)。企業側の考える一定水準を満たさなければ、学生が採用されることはないでしょう。
この学歴不問採用と実力不問採用の混同、すなわち勘違いこそが、いまだ続く大学名差別とその悲喜劇を助長している、と私は考えます。ソニーよりも前に学歴不問採用を行っていた毎日新聞社で大きく取り上げられていたのが上智大中退の才媛というのが、この勘違いを象徴している、そう考えます(石渡嶺司)。