現地の子供からお金はとれない
例えば、カンボジアの田舎町に学校を作って、貧しい子供たちが授業を受けられるようにしたとします。校舎を建てたりするところは「1回だけのボランティア」でまかなうことができて楽しいものです。
しかし、校舎ができあがると、先生の給料、電気・水道などの光熱費、校舎の修繕費、教科書や文具など、バカにならない金額が月々かかってきます。その費用を個人で負担するのはあまりに重たいのですが、かといって現地の子供たちから授業料はとれません(授業料払っても学校に来れるような人は、最初から私立の学校に行きます)。
何か稼げる方法はないかと、英語の教師が放課後、外国人向けの英語教室を開いて授業料をとろうと考えます。しかし、首都プノンペンならともかく、カンボジアの田舎町に、授業料を払って英語を学んでくれるような日本人や台湾人は住んでいません。
一般的に、事業をやるときには、まずどこにお客さんがいるかを調査し、お客さんがいるところで事業を始めます。最初小さく始めて、事業で得た利益を投資して大きくしていきます。しかし、ボランティアで事業をやる場合は、ボランティアがメインなので場所が限定される場合が多いです。また、たとえ利益が出たとしても、ボランティアの経費(現地人の人件費など)に使ってしまうため、事業に回す投資額が少なくなってしまいます。さらに、主催者が本当にやりたいのは事業ではなくボランティアですので、どうしてもお金を稼ぐ事業にかける時間と情熱は少なくなってしまいます。
ただでさえお金を稼ぐのは大変なのに、このようなハンディキャップを背負って事業をしなくてはいけないのですから、いっそう大変なのです。だから、こんな声も聞かれます。
「僕は来月アメリカに帰るけど、ここでボランティアを継続するよりも、アメリカで起業して稼いで、その金で学校運営をしたほうが効率がよさそうだと分かったよ」
カンボジアにはそれなりにたくさんの問題が山積していて、それを解決する方法もなんとなくは分かっています。しかし、実際に実行する、特に長期的に実行するとなると、事業運営だけでもこのように二重三重の問題がでてきます。世界をよくするのは、予想以上に大変。その大変さは、実行してみないとわからないのです。
「そうだね。でも、君がアメリカでできることは、カンボジア人がカンボジアでできることの何十倍もの経済的なパワーになる。だから、アメリカで頑張れ!」
(森山たつを)