難関大重視は「不問」後も変わらず
実は指定校制の全盛期、ソニーも他の企業と同様「技術系はなかば公募、事務系は三十大学を指定」(「サンデー毎日」1967年7月16日号)していました。1971年でも、文系学生については、千葉、埼玉、東京教育(現・筑波)、名古屋市立、武蔵、東洋、近畿などを推薦依頼校から外しています(「就職ジャーナル」1971年2月号)。
結局、難関大重視は1991年の学歴不問採用実施後も変わりません。そもそも導入時点で懐疑的な見方がはっきりとありました。
前掲の「週刊ポスト」1991年5月3日号の記事では、東京海上火災保険広報部の否定的なコメントを掲載しています。
「常識的に(学校名、学部名を)聞くのが普通ではありませんか? こちらが聞かなくても、学生側がいいますよネ。それが自然体ではないでしょうか」
2005年の『超・学歴社会』でも溝上は、ライバル社のこんなコメントを紹介しています。
「学生が『ゼミは何を専攻していました』『こういう分野で第一人者の先生の指導を受けました』と言えば、有名大学の法学部や経済学部であれば、『彼はあの大学のあの学部だな』と、すぐわかるものですよ。その気になれば、いくらでも探ることは可能です」
こうした批判は1990年代後半からさかんに出たらしく、ソニー側も中田研一郎・ヒューマンキャピタル執行役員が「プレジデント」2004年11月15日号の記事「人材のプロの証言!『学歴不問のウソとホント』新卒採用は、なぜブランド校に集中するのか」で次のように反論しています。記者の「結果的に、ではありますが、慶応大学出身者が多く入るとも聞きます」に対して、中田氏は、
「それは学生に対して誤ったメッセージを送ることになります。『ソニーは所詮、有名大学からしか採らないんじゃないか』と。とてもおかしな話です。(中略)結果として、東京の有名大学の方が多く入るということはあるかもしれない。でも、それは、自由競争の結果なのだと私はいいたい」