「美人はわがまま」とフロイト
最初から白旗を掲げるようで申し訳ないが、本テーマは、学術研究にはなりえない。まず「美人とは何か」という定義が難しい。定義がなければ仮説も成り立たない。
ただ、こんなことを思い出した。
精神分析を専門とするある知り合いの精神科医と雑談していたときのことである。彼は、「フロイト博士も美人の精神分析を考えていたらしい」と言った。ジークムント・フロイトは、19世紀に精神分析を創始したことで知られる精神科医である。
「フロイトに言わせれば、美人は子供のころから可愛らしいので、周りにチヤホヤされながら育つ。だから自己中心的になる人が多いということだそうだよ」
と知人は言う。いつの間にか「自己中心でわがまま」が「結婚するとストレスになる」とアレンジされたのかな、と彼は思っているようだった。
私に言わせれば、これは西洋的な考え方だ。
日本では昔から、魅力的な女性を形容するとき「器量がよい」といった。この言葉は、外見の形よさを評価するというより、いわゆる人間的な豊かさ、包容力に焦点を当てている。
個人と個人が結びつく西洋的な結婚イメージはさておき、日本人は、男女によらず、「器」の大きい人と一緒になって仲よく暮らせば、ストレスがかかるどころか、お互いに自分を成長させることもできそうだと感じるものではないか。
少なくとも「器量よし」と結婚した同僚を、「ストレスが増えるだろう、かわいそうなやつ」と冷笑することはないだろう。つくづく日本語はいいものだと思う。(佐藤隆)