50年前の「指定校リスト」発掘 「大学名差別」の変遷たどると

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   「大学名差別」をシリーズで追っていますが、3回目は「指定校リストからの変遷」です。1970年代まで、日本の企業、特に大企業は「指定校制度」を実施していました。これは、企業が求人を行う大学を指定し、そこの学生はエントリーを受け付け、選考を経て採用するが、指定校以外の大学は採用活動の対象としない、という制度です。

   かつてどの企業がどの大学を指定校としていたか、その資料を先日発掘しました。「サンデー毎日」1967年7月16日号の記事「これでも学歴は無用か 求人指定校という名の大学格付」です。同記事には、旭化成、鹿島建設、高島屋、トヨタ、日立製作所、三菱銀行など大手企業15社・113校の指定校リストが収載されています。

   今回はこの50年前のリストを手がかりに、採用実績校がどのように変遷したかを見ていきます。

かつて大企業の75%が実施

「あなたの大学は、受けていただいても大丈夫です」
「あなたの大学は、受けていただいても大丈夫です」

   同記事には、日経連(日本経営者団体連盟、現在は日本経済団体連合会)の1966年度調査として、指定校制度を実施している企業は、事務系採用では47.7%、従業員3000人以上では75.8%、とあります。

   この指定校制度に対する批判は戦後ずっと続き、新聞や雑誌でもたびたび取り上げられていました。サンデー毎日の記事もその一つです。

   ただ、記事を読むと、企業側には、

「かつて、指定校のワクをひろげてみたことがあるんですが、公平な試験の結果でも、採用されたのは、だいたい、いま指定している大学の出身者に限られてしまいました」(旭化成)
「どんな大学にも優秀な方がいらっしゃると思いますけれど、採用の手続き上、しぼらないとさばききれませんのでね」(高島屋)

など、指定校のしくみが機能しているのだという理屈がありました。

   リストの一部を紹介すると、東大・京大は全15企業が指定。次に多いのが一橋・早稲田・慶応の14社、神戸13社、九州12社、東北・横浜国立11社、北海道・東京外国語・中央10社、名古屋・上智9社、青山学院・同志社8社、金沢・岡山・広島・熊本・東京都立・横浜市立・学習院・明治・関西学院7社など。リストアップされた113大学のうち宇都宮・専修など28大学は1社のみの指定でした。

   旧制高校を前身とする地方国立大(金沢、岡山、熊本)が7社と健闘し、記事でも「地方国立大学でじっくり勉強し、有名企業をねらうほうが、ずっと得策」と書かれています。

   意外なのは、メーカー9社のうち6社は事務系のみの記載ですが、それでもトヨタは早稲田・慶応を指定から外しています。東京理科大は日立製作所のみ、関西大は三菱銀行などが指定を外していて3社どまり。

   2016年現在の採用事情と合っている部分もありますが、合わない部分も多々あります。

1970年、「ワクは広がる」

   では、この1966年度の指定校リストとその後の採用実績がどう推移しているか、経年変化を見ていきましょう。サンデー毎日は当時からずっと、就職ランキングを掲載しています。ある時点から、「大学通信」のデータ提供を受けるようになったようです。その就職関連記事をたどっていきます。

   まずは、指定校リスト掲載から3年後の同誌1970年9月27日号。いわゆる団塊の世代が社会に出はじめるころです。

   「シニセの企業とシニセの特定大学の結びつきの強さはいぜんとして変わりないものの、出身大学のワクはグンと広がっている」と記事のリード文にはあります。

   第一生命は早稲田15人、東京都立・神戸・慶応・中央・関西学院6人、和歌山・同志社5人と、上位8校はすべて1966年度当時の指定校。漏れていた大学では、立教4、明治3、東北学院・日本・駒澤2など。

   三越は、1966年度リストに掲載されていなかった多摩美術・東京女子・日本女子の3校以外はすべて指定校。

   旭化成は、採用実績上位10校は1966年度の指定校。それ以外では、東京農工・大阪市立3、信州2など。指定校ながら宮崎大は1人。一方で、私立大の指定校が早・慶・中央の3校のみだったのが、同志社3、明治・上智・青山学院・日本・成蹊・学習院・東京理科・大東文化・関西学院・甲南1と、11校も増えています。

   リード文にある「ワクは広がる」はその通りだったようです。

   指定校制度は1970年代から1980年代にかけて衰退していきます。

   ただし、大手企業と難関大の結びつきはその後も「リクルーター」という形で残ります。形を変えた指定校制度とも言えるもので、現在も続けている企業はあります。

   人事労務の専門誌「労務事情」2003年7月1日号の「内定模様の推移を読み解く 価値を失った『拘束』」には、バブル期の内定者拘束事情がまとめられています。その中でリクルーター制度も出ています。「大学ごとのリクルーターを利用した水面下での活動が行われていたのが実態」とあり、リクルーターのいる大学はほとんどが難関大です。「内定者だけでなく、応募学生も拘束し、連日連夜選考を重ね、3~4日ですべての選考を終えてしまうというやり方」だったようです。

   興味深いのは、大学名どころか学部名にまでこだわる企業があったことでしょう。記事では、こんなエピソードが紹介されています。著者(採用コンサルタント)がとある企業(内定者が足りていない)に、就活に出遅れた優秀な千葉大生を紹介したところ、

「ダメだ。欲しいのは早稲田の商学部なんだ。政経でも法でも、慶應でもない。早稲田の商学部だ。誰かいませんか?」

   今ならまず考えられません。

   指定校やリクルーターに話を戻すと、そうしたしくみを一気に衰退させたのが、1996年の就職協定廃止とインターネットの普及でした。この2つにより、短期決戦だった就活は長期化し、企業側も人物重視で考える余裕が出てきました。「何が何でも早稲田大商学部から○人」という手法ではなく、「早慶か千葉大レベルの国公立から△人」「早慶だろうがどこだろうが、▽▽条件に合いそうな学生□人」と幅広く考えるようになったのです。

   学生もインターネットの普及で就活が可視化し、企業選び・業界選びをじっくり進めることができるようになりました。

2000年代、名残も消え

   こうした変化を踏まえて、1991年の採用状況を見てみましょう。「サンデー毎日」1991年7月14日号「今春の就職クロス・ランキング著名390社×主要77大学」です。1991年卒は就職率81.3%で、これは2016年現在も最高値となっています。

   旭化成は、1966年度当時私立大の指定校は3校に絞られていましたが、1991年もその早稲田が22人、慶応が23人、中央が10人と採用が多いのは確かです。ただ、上智13人、東京理科・青山学院12人、日本・明治10人、同志社8人、立教・学習院・関西学院6人など指定校でなかった私学からも多数採用するようになりました。

   第一生命も同じで、指定校外だった明治20人、立教10人、関西8人、専修9人などとなっています。他の企業でも、かつて指定校だった大学とそれ以外の大学とで、それほど差がありませんでした。

   差があるとすれば、やはり大学ランクです。「労務事情」誌に出てくるエピソードは、指定校/リクルーター実施校にこだわる企業の断末魔、だったのかもしれません。

   サンデー毎日=大学通信のデータはその後も毎年出ていますので、各年度のデータも一応見てみました。が、その変化に与えた影響があるとしたら、景気の変動であり、かつて指定校だったかどうか、という名残を見ることはできません。

   すなわち、「大学名差別」とされる企業の採用傾向は、50年前から現在にかけて、「個別の大学のみ採用し、他は切り捨てる」→「個別の大学を優遇するが他大学からも採用する」→「大学ランクごとにグループ分けをして、難関大を中心に採用する」→「難関大グループから採用、それ以外からも採用するがそれは個人の資質次第」と変化しているのではないでしょうか。

   指定校リストや各年度採用実績から、こうした変化を感じ取りました。(石渡嶺司)

石渡嶺司(いしわたり・れいじ)
1975年生まれ。東洋大学社会学部卒業。2003年からライター・大学ジャーナリストとして活動、現在に至る。大学のオープンキャンパスには「高校の進路の関係者」、就職・採用関連では「報道関係者」と言い張り出没、小ネタを拾うのが趣味兼仕事。主な著書に『就活のバカヤロー』『就活のコノヤロー』(光文社)、『300円就活 面接編』(角川書店)など多数。
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