2000年代、名残も消え
こうした変化を踏まえて、1991年の採用状況を見てみましょう。「サンデー毎日」1991年7月14日号「今春の就職クロス・ランキング著名390社×主要77大学」です。1991年卒は就職率81.3%で、これは2016年現在も最高値となっています。
旭化成は、1966年度当時私立大の指定校は3校に絞られていましたが、1991年もその早稲田が22人、慶応が23人、中央が10人と採用が多いのは確かです。ただ、上智13人、東京理科・青山学院12人、日本・明治10人、同志社8人、立教・学習院・関西学院6人など指定校でなかった私学からも多数採用するようになりました。
第一生命も同じで、指定校外だった明治20人、立教10人、関西8人、専修9人などとなっています。他の企業でも、かつて指定校だった大学とそれ以外の大学とで、それほど差がありませんでした。
差があるとすれば、やはり大学ランクです。「労務事情」誌に出てくるエピソードは、指定校/リクルーター実施校にこだわる企業の断末魔、だったのかもしれません。
サンデー毎日=大学通信のデータはその後も毎年出ていますので、各年度のデータも一応見てみました。が、その変化に与えた影響があるとしたら、景気の変動であり、かつて指定校だったかどうか、という名残を見ることはできません。
すなわち、「大学名差別」とされる企業の採用傾向は、50年前から現在にかけて、「個別の大学のみ採用し、他は切り捨てる」→「個別の大学を優遇するが他大学からも採用する」→「大学ランクごとにグループ分けをして、難関大を中心に採用する」→「難関大グループから採用、それ以外からも採用するがそれは個人の資質次第」と変化しているのではないでしょうか。
指定校リストや各年度採用実績から、こうした変化を感じ取りました。(石渡嶺司)