外国の人と初対面で会えば、「どちらのご出身ですか」と聞く流れになるのが自然です。相手がたとえば「ポーランドのクラコフです」と答えたとしましょう。僕が「3度行ったことがありますよ」と言えば、相手はびっくりします。そしてたちまち親しくなれます。逆に外国の人から「美杉村に行ったことがあります」と言われれば、僕は途端に親切になると思います。三重県の美杉村(現在津市)は僕の出身地ですから。
人と人とが仲よくなり、お互いを深く理解するためには「共通テキスト」を持つことが必要です。自分と相手との間に共通の話題を発見すると心からうれしくなり、相手のことをもっと知りたいと思うようになるからです。本や旅は、そういう共通テキストを豊富にし、幅を広げてくれるツールなのです。
ローマ帝国の話題で親しくなる
僕が以前、ロンドンの日本生命のオフィスに勤務していたとき、オックスフォード大学キーブルカレッジの学長が交代するということニュースが入りました。同カレッジには、当時、会社として色々とお世話になっていたので、僕はさっそく新しい学長へ挨拶にうかがいました。
新学長に「ご専門は?」とたずねると、後期ローマ帝国だと言われたので、僕が「ディオクレティアヌス帝の時代ですよね。テトラルキア(四分割統治)の」というと目を丸くされました。「日本のビジネスパーソンにはたくさん会ったけれど、そんなことを言った人は貴方しかいない」とご機嫌になられて、すっかり親しくなりました。カレッジの食堂でご馳走になったり、僕がロンドンを離れる際に会社の会議室で行ったささやかなさよならパーティーにもわざわざ足を運んでくれました。
このように共通テキストは人生を楽しくしてくれるものなのです。興味があればいろいろなことに首を突っ込み、たくさんのことを知っていれば、ひょっとしたら仕事の上でも役に立つことがあるかもしれない。ただ、かりに役に立たなくても、好きなことやったのですから、それでもともとです。
仕事に役立てようと思って本を読んでも、なかなか「当たり!」とはいきません。ためにする勉強ではなく、好きなことを勉強して、それで当たればいいし、当たらなくても好きなことだからよし、と考えるべきです。キーブルカレッジの学長も、自分の専門を理解してくれる人と話すだけで楽しい、そう思っていたのだと思います。
運がよかった東京での仕事
僕は、日本生命保険という大企業に30年以上勤務していながら、なぜ発想が自由でいられたのかといえば、東京に30歳で出てきてロンドンに赴任するまで10年以上、「MOF担(財務省担当者)」をしていたからではないでしょうか。
中央官庁の役人はよく勉強している人が多い。自分の専門以外のことを好きで勉強している人も少なくありません。それこそ専門家はだしの本を書くような人もいます。そういう人たちとの出会いがあり、毎晩のようにお酒を飲んで議論をする機会があった僕は本当に恵まれていたと思います。
官僚だけではなく、日銀、金融機関、メディアなど、いろいろな世界の専門分野の人とも付き合いました。よく「出口さんは省庁の次官を含めて偉い人の人脈がすごい」と言われたりしましたが、そうやって毎晩のように飲んでいたたくさんの人の中から、たまたま偉くなる人が出たというだけのことです。
内部の仕事をしていたら、おそらく、朝から夜遅くまで働いて、同僚と仕事やプライベートの話をしながら楽しくお酒を飲んで、という生活を送っていたと思います。そういう意味ではたまたま運がよく、そういった人と接点を持つ機会が多かっただけです。
楽しくなければ、面白くなければ人生じゃないでしょう。人は何によってつくられるかといえば、やはり人、本、旅ではないですか。僕自身、比率でいえば本が50%、人と旅が25%ずつかなと思っています。楽しい人、面白い人と会い、好きな本を読み、行きたいところに行くこと(旅)にお金を使うことが人生を楽しく豊かにしてくれるのだとつくづく思います。(出口治明)