4年ぶりにお目にかかった医療関連機器製造K社2代目社長M氏。ご自身お元気そうでしたが、会長である先代も負けず劣らずお元気なようで、モヤモヤの晴れない様子がうかがえました。
創業者である先代は、10年ほど前に社長職を息子のM氏に譲られたものの、会長として最高決定権を持ち続け、何事においいても社員はまず会長の意向をうかがうという状況が続いているのだといいます。
父もそろそろじゃないのか
「会長は天皇陛下と同じ歳なのですよ。僕もたまたま皇太子様と同年代。今般、陛下が象徴としてのご公務についておことばを述べられましたが、それを見て、同い歳の父もそろそろじゃないのかと改めて思いました。息子の私から見て、体力や思考力に衰えを感じますし。自分から『お気持ち』を発する気になってくれないものかと」
天皇陛下と一企業の実権者を比較対照の土俵に持ち出すのもどうかと思いますが、永続的な地位にある者が引退するタイミングの妥当性を吟味するという点では、共通する面があるかもしれません。それは、トップ自身が考える限界と、周囲が考える限界というふたつの判断をすりあわせて引退時期の妥当性を探るべきだという考え方です。
天皇陛下の場合は、ご自身が年齢的、体力的な限界をお感じになられたわけで、周囲にそれが見えていようといまいと、ご退位の潮時であることは間違いありません。だから国民の多くが大いに頷きながら陛下の「お気持ち」を受け止めたのでしょう。これは、企業トップ自らが引退の潮時だと判断する場合と同じでしょう。
問題はM氏のご父君のようなケース、高齢になろうとも自身が限界を感じることなく変わらずに働いている場合です。この場合の判断基準は、周囲の目から見てトップとしての限界が来ているか否かでしょう。言い方を換えるなら、「世論」すなわち社員の意見として、「年老いた会長にはもはやついていけない」という声が大勢を占めているなら、自身が限界を感じていなくとも、すでに引退の潮時だといえるでしょう。
M氏は会長のことを、「80歳を過ぎてからは、体力や思考力に衰えを感じさせられる」と言っていますが、果たして他の社員もそう見ているのでしょうか。そこがポイントであると思った私は、M氏に尋ねてみました。