手本とすべき上司の存在
昭和の高度成長期は、組織という考え方が中小企業にはほとんどなく、「社長と職人の集まり」という会社構成が当たり前の世界だった。もちろん、部長、課長という役職はあったけれども、実際には仕事ができる社員にほかの社員よりも給与を多く払うための便法にすぎず、そこに管理という業務は存在しなかった。
ところが現在は、ベンチャー企業のような社歴の浅い中小企業でも、上場を視野に入れるなら管理という業務が早い段階からその組織の役職者に求められる。従って、役職者に任命された幹部たちは、ろくな組織経験もないままいきなり管理の立場に立たされることになり、手探り状態で役職者を演じざるをえない。これが昭和の中小企業と現代のベンチャー企業との大きな違いだ。
一方、大企業で役職に就く社員は、できあがった組織管理の仕組みの中で、担当者時代に散々上司に仕え、自身が役職者にたどり着く頃までに多くの手本や悪い見本を目にし、体感することで、知らず知らずに「管理者のかくあるべし」を学んでいるのだ......と。
すなわち、ベンチャー企業の役職者には手本とすべき上司の存在がなく、指導や指示の仕方、仕事の振り方を学ぶ機会がなかったことが「叱れない上司」の生まれる主な原因であると、その大学教授は結論づけていました。同時に「叱りすぎる上司」もまた同じ理由で生まれるのだとも。
C社は創業からまだ6年。社長自身が30代半ばと若く、社員の平均年齢は20代後半だといいます。しかも大半の社員は大手企業勤務経験がなく、手本とすべき上司の下で働いたこともなく、まさしくコラムで大学教授が指摘する通り、「叱れない上司」あるいは「叱りすぎる上司」になる条件にピタリとはまるのです。
さらに、ベンチャー企業では経営者自身が「叱れない上司」であったり「叱りすぎる上司」であるケースが多いとコラムは指摘し、そのことが多くのベンチャー企業を一定レベル以上に成長させる妨げになっているのだと論じていました。