「会話についていけへん」
振り返ると、当時の僕は自分に自信がもてない田舎出身の学生の一人でした。文学や歴史などについては、多少は、本を読んでいましたが、社会科学系の知識はまったく欠いていました。東京や大阪出身の学生は高校時代からマルクスやレーニンに親しんでいて、堂々と自分の考えを述べるのに、自分は何ひとつ意見を言うことができません。
「会話についていけへん、カッコ悪い!」
そう思って、マルクス、レーニンを読もうと岩波文庫をまとめて買い込んだりしました。さらに、ヘーゲルやカントも知らなければと思って、当時中央公論社から刊行されていた『世界の名著』をもとめたりして、読みふけりました。
さらに、友だちとしょっちゅう議論をしました。議論をすれば、相手から違うボールが飛んできて、それを受け止めることで、自分がそれまで考えたことがなかったような多様な世界が見えてきます。本を読んで蒙を啓かれるだけではなく、友だちとの交流によっても「そうだったのか!」と発見をする機会をたびたび得ることができました。
そんな調子ですから、月々の仕送り・奨学金が待ち遠しくなるのも当たり前。事態が逼迫すると、何冊かの本を抱えてよく古本屋に駆け込んだものでした。
あと3日で仕送りが届くので、それまで売らんといてください、必ず買い戻すので――そんなふうに店主に頼み込んで、「つなぎ融資」を受けることが多々ありました。
面白いと思ったことにお金を使うという僕のスタイルは、大学時代、読書にのめり込むことによって形づくられたのでした。(出口治明)