なりたい自分になれなくても 事件に思う「夢」実現教育の是非

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   神奈川県相模原市の障碍者施設で起きた事件の死者は19人、戦後最大級の大量殺人事件となってしまいました。凄惨な事件であり、被害者やその遺族、関係者が受けた傷を思うと言葉もありません。報道されている容疑者のキャリアを考え、これは根が深い、と思いましたので、今回は「自己実現の是非」をテーマにまとめてみました。

  • 脚光を浴びたことが忘れられず
    脚光を浴びたことが忘れられず
  • 脚光を浴びたことが忘れられず

似たような「小さないらだち」が

   容疑者は学生時代に教員を志望、教育実習も行ったと報じられています。しかし、教員を断念し、違う業界の企業に就職。その後、事件現場となった障碍者施設で職員として働きます。7月28日現在、容疑者は障碍者に強い殺意を持ち凶行に及んだことが明らかになっています。しかし、そこに至るまでの過程は解明されていません。

   多くの就活学生を見てきた私が想像するに、容疑者は教員志望がうまくいかなかったから福祉を志望した、と見ていいでしょう。ところが、障碍者のケアは簡単な仕事ではありません。仕事が思うようにうまくできないストレスが何らかの原因で高じて事件につながった、と見ても、それほど不自然ではないでしょう。

   「なりたい自分になる」→「思うように行かない」→「だったら、その対象(障碍者)を殺す」という容疑者の身勝手な理屈は、絶対に許されるものではありません。

   しかし、これとよく似た小さないらだちは、就活や転職の市場において、よく見受けられます。本来の自分の志望とは異なる、別の業界・企業で働くことになった人の屈折した心理です。

   最初は誰もが、名の通った大企業や人気業界を志望します。でも、それがダメだった場合(結構高い確率でダメになります)、やむをえず人気度が低い業界を志望していくことになります。

   ここで、気持ちを切り替えられるかどうか。

   切り替えることができれば、地味な業界・企業であっても、自分に合っている部分はどこか、前向きに考えて選考に参加します。逆に、いらだちの小ぶりなものが残っていればどうでしょうか。

「本当はもっと大きな企業(人気業界)を受けて通っているはずだった。ダメだったから仕方なくこの企業を受けるけど、本来の自分がいるところではない......」

   こんな思いで就活を続けても、うまくいくわけがありません。仮に内定を得て入社しても、すぐ心が折れてしまうのではないでしょうか。

浴びた脚光を忘れられず

   たとえ就活が順調でも、入社してからもなお小さないらだちを抱え続ける社会人が存在します。特に多いのが体育会系。それも、メジャー競技(野球、柔道、剣道、バレーボール、陸上、ラグビーなど)のレギュラー、準レギュラークラスに多い気がします。

   レギュラーないし準レギュラーでありながら、社員選手として社会人チームに所属しないということは、社員選手として声が掛からなかったか、自分から見切りをつけたか、のどちらかです(あるいは両方)。

   未練を断ち切って社員として頑張る、ということであれば問題ありません。そうやって見切りをつけられる体育会系は、どうもマイナー競技(弓道、フェンシング、馬術、射撃、競歩、女子サッカーなど)に多い気がします。そこには、競技にスポンサーがそれほどつかない、社会人チームも多くない(社員選手の枠自体がそれほどないので嫌でも見切りをつけるしかない)、マイナー競技ゆえ目立たないことに慣れている、などの事情が影響しています。

   一方、メジャー競技だと社会人チームも多く、そもそもメジャー競技ゆえ、大学生であっても脚光を浴びることがしばしばあります。プロに転向する、ないしは社員選手としてスポーツ選手のキャリアを歩む、ということであれば話は別ですが、問題は社員選手としては誘われず、就職した場合。

   脚光を浴びたことは本人にとって忘れられない、いい思い出です。いい思い出は客観的には「麻薬」と言ってもいいでしょう。会社でいざ仕事を始めてみれば、地味な作業ばかりですから(新人だから当然ですが)、日の当たることはありません。

「なぜ、学生時代あんなに目立っていた自分がこんな雑用やっているのだろう?」

   そのように考えだしたら危険。そうした小さないらだちが、「本当はこんなところにいるはずじゃなかったのに」という鬱屈につながってしまいます。

   ある流通企業は「体育会系ならいいだろう」とメジャー競技の副キャプテンだった学生を採用しました。元気がいいので目立つ、という理由で採用担当部署に配属したのですが、これが大失敗。企業セミナーで学生相手に話をさせると、ひたすら自分の部活自慢。「頑張ればできる」との精神論に、文系学生だけでなく体育会系もドン引きです。事務処理能力は低く、それを改善する意欲もありません。

   ある日、合同企業説明会イベントに駆り出すと、人員整理や学生からの相談受け付けなどを全て他の社員に押し付け、自分は結婚相手やその母親とLINEなどで遊んでいました(本人いわく「家族の事情」)。これが人事部長にばれて、翌年、閑職に異動。その半年後に退職してしまいました。

一つの遠因がここにある

   相模原事件の容疑者ほどでないにしても、多くの人が抱えるこのような小さないらだちは、いったいどこから来るのでしょうか。

   私は、「夢」の実現を強調するキャリア教育にその遠因の一つがある、と考えます。

   2000年代前半から日本では小中高、そして大学でキャリア教育が展開されるようになりました。小中高では、「夢を実現しよう、そのための進路を選択しよう」と「夢」がやたらと強調されます。確かに、早いうちから進路(職業)を意識させる、という点では効果があります。

   一方、「夢」を特に意識しない高校生・大学生は今も昔も一定数います。いや、相当多い、と言っていいでしょう。また、「夢」といっても、職業に結びついたものとはかぎりません。「幸せになりたい」「お金を稼ぎたい」など生活に結びついたものだってあります。

   なのに、どうも2000年代前半から現在に至るまで、日本の教育現場では、前者の「職業に結びついたもの」しか「夢」と扱われません。この「夢」実現キャリア教育の副作用が小さないらだち(本当の自分の居場所はここではない)につながっているのではないでしょうか。

   なりたい自分になれていない、としても、仕事は仕事として割り切る――そんなことも大事なのではないでしょうか。報道されている相模原事件の容疑者のキャリアから、ふとそんなことを考えた次第です。(石渡嶺司)

石渡嶺司(いしわたり・れいじ)
1975年生まれ。東洋大学社会学部卒業。2003年からライター・大学ジャーナリストとして活動、現在に至る。大学のオープンキャンパスには「高校の進路の関係者」、就職・採用関連では「報道関係者」と言い張り出没、小ネタを拾うのが趣味兼仕事。主な著書に『就活のバカヤロー』『就活のコノヤロー』(光文社)、『300円就活 面接編』(角川書店)など多数。
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