私は、銀座界隈の高級クラブというところにほとんど縁のない人間なので、そこにどんな類の女性がいてどのようなサービスをしてくれるのか詳しくは知り得ないのですが、最近、少しだけそんな世界が垣間見えるようなエピソードを聞くことができました。
6月に上場企業J社の社長就任が内定しているH氏。常務時代に次期社長を嘱望されながら同期のライバルに敗れ、数年前、一製造子会社に社長として転出。ところが、後継社長に就いたライバルが2期連続の業績不振で引責辞任すると、一度はH氏を左遷した会長が返り咲き人事を決めます。それもH氏の子会社でのシナジー実績を高く評価してのことだったと言われています。
あの和装の女性はどなた?
正式決定がなされる株主総会前ながら、決算発表を終えた段階でもあり、新体制ご挨拶と称する実質的な新社長就任お祝いの会がこのほど開かれ、取引先をはじめ、ごく一部の関係者が招かれました。その会合に、私も運良く紛れ込ませていただいたのでした。
ダークスーツばかりが目立つ宴会場にあって、真っ先に私の目を引いたのは「夜のご商売では」と思わせる和装の女性でした。彼女は、H氏のもとに進みお祝いの言葉を届けると、早々に会場を後にされました。一部の来場者は彼女の存在に気がついたかもしれませんが、皆、挨拶の順番確保に気を奪われて、彼女の姿を目で追う人はほとんどない様子でした。
女性の正体が気になり、旧知の広報担当者に尋ねてみると、やはり「会社ぐるみでお世話になっている飲食関係の方」とのことでした。要は、時に接待、時にプライベートでH氏が使っている店の女将なのだなと、だいたいのあたりはつきます。下衆の勘ぐりではないのですが、どのような「お世話」になっているのか、もう少し具体的に直接聞いてみたいのが好奇心というもの。会場の隅でじっと待ち、会の終盤ようやく新社長を捕まえることができました。
いつの間にか前向きな話を
お祝いの言葉やら今後の展望やらは手短に切り上げ、おもむろに件の女性の話を切り出しました。
「先ほど会のはじめに、和装のお美しい女性が真っ先に駆け寄られていたのをお見受けしたのですが、どちらの方ですか?」
すると社長、なんのてらいもなくあっけらかんと、
「あぁ、Sさんね。銀座ですよ。部長時代からの、そこそこ長いお付き合いでして。あの世界の方も、Sさんのように一流になられると、口では『いろいろ教えてくださいな』などと謙虚なことをおっしゃいますが、実はこちらが学ぶべきことがとても多い。今回ばかりは感謝の気持ちをお伝えしたくて、無理を申し上げてお越しいただいたのです」
上場企業の社長が夜の世界の女将に学ぶべきことが多いとは、いったいどういうことか。ますます興味が惹かれましたので、さらにそのあたりを突っ込んでみました。
「子会社に転出を命ぜられた時、今思えばきっと愚痴っぽい話をしていたと思うのですが、彼女と話していると知らず知らず、いつの間にか前向きな話をしている自分に気が付くのですよ。巧みな『聞き手術』というのでしょうか、こちらが驚くほど前向きになれるのです。コミュニケーションって相手の受け答えひとつでガラリと変わるものなのだと、大きな気づきを与えられました」
H氏の転出先は、地方の名門オーナー企業を買収したものであり、親会社の官僚組織的な風土とは180度文化が違うのだといいます。H氏の前に送り込まれたトップたちは、親会社風を吹かせるばかりで親子融合に手を焼き、実質的に組織を束ねる生え抜き幹部社員をコントロールできずにいたのだと。結果、10年以上の時を経てなお、買収の効果は十分に上がらなかったのです。
聞いて聞いて、聞きまくる
そんな折、社長レースに敗れ送り込まれたH氏。歴代のトップが、「あれをやれ」「これをやれ」と一方的な命令コミュニケーションで接していたのですから、迎える生え抜きたちが、表には出さずとも内心で反発するのは当たり前です。ガス抜き目的の宴席さえしっくりこないありさまで、H氏も先人同様、歴史ある子会社の生え抜き幹部のプライドや自負を前に、苦戦のスタートを強いられたのだと言います。
「どうしたら生え抜き幹部たちと一体感をもってうまくやれるのか。そこで思いついたのが、自分を前向きに変えてくれたS女将の、聞き手に徹するコミュニケーションでした。とにかく彼らの話を聞いて聞いて、聞きまくること。これを徹底的に続けてみたら彼らの不平不満はいつしか改善提案に変わり、それが組織を鼓舞するエネルギーになったわけです」
トップのちょっとしたコミュニケーション方法の転換で、おもしろいように組織がうまく回るようになり、結果的に本体社長への返り咲きの布石となったのです。殺し文句は、まんまS女将のおなじみの台詞、「いろいろ教えてくださいな」だったとか。一流クラブ女将のコミュニケーション術、恐るべしです。
「百聞は一見にしかず、です。S女将のお店、今度ご一緒にいかがですか?」
確かに一度この目で確かめてはみたいと思うものの、私なんぞには場違いな世界です。丁重にご遠慮申し上げました。(大関暁夫)