実は起源が不明の入社式。
今回のテーマは番外編ながら時期もの、ということで「入社式」です。
就活を終わった学生が社会人になる瞬間、ということでまあ関係あるかな、と(強引?)。
と、話を強引に持って行きながら恐縮ですが、入社式の日本における起源がいつかは、はっきりしていません。
戦前から「退屈」なものだった?
『日本就職史』(尾崎盛光、文藝春秋、1967年)には、
「新入社員教育が系統的かつ制度的におこなわれるようになったのは、ほぼ大正十年代に入ってからで、それ以前には、ほんの、一、二ヵ月、勤務時間の前後に、いわば業務の補助程度におこなわれただけのようだ」
との記載があります。この大正10年代(1920年代)に入ってから、新入社員研修の体系化が進んだことを示しています。
新入社員研修の体系化が進んだ、ということは、この時期に入社式か、それに類する行事の整備も進んだ、と推定されます。
戦前の1940年代には入社式についての文献も登場しますので、この時期には確立されていた、ということでしょう。
東洋陶器(現在のTOTO)の1942年入社式についての文献は、なかなか興味深いです。
戦時中ということか、何か事情があったのか、入社式を軽視していたのか、社長は欠席。代理の常務が取り仕切ります。
それはいいのですが、冒頭で、
「あくびや、こくりこくり船を漕ぐやうな不緊張不真面目な事はして戴きたくない」
と、断っています。
入社式が退屈だったのは、今も昔も変わりないようです。
ただし、この東洋陶器の入社式、社長代理の常務の挨拶だけで2時間も語っています。イビキが出てもおかしくないところ、あくびくらい良いじゃないか、と思うのは私くらいでしょうか。