前回では、日本経済新聞の「企業30年説」で、企業のビジネスモデルが衰退する時期と、筆者の「起業30年説」で主に創業者のライフサイクルによる企業の衰退時期に触れました。
では、そもそも企業とは、どれほど生きるものなのでしょうか。中小企業庁や帝国データバンク、東京商工リサーチなどから、さまざまな数字が発表されていて、数字に多少のデコボコはありますが、10年生き残る企業は5%程度で、30年後に生き残る企業は1%あるかないかのようです。ほとんどの企業は30年までにつぶれてしまうのが世の習い。この点からも「企・起業30年説」というのは説得力があります。
「乱」を忘れず、備える経営者
企業の寿命を知るには、ほかに平均年齢というデータもあります。帝国データバンクによると、2009年の時点で40.5歳。それが2014年には35.5歳となってしまいます。これはその調査時点で、登録されている企業の創業から今日までの年数を平均にしたもので、その中にはふとんの西川産業のように450年を超えた企業も含まれています。この5年間で平均年齢が5年も短くなっているのは、怖いことです。
ロシアの文豪トルストイは『アンナ・カレーニナ』の冒頭で言いました。「幸福な家族はどれも似通っているが、不幸な家族は不幸のあり方がそれぞれ異なっている」。筆者はこれを援用して、「経営の順調な企業はどれも似通っているが、苦しい企業は、苦しさのあり方がそれぞれ異なっている」としてみました。いかがでしょう。
企業には、内部に起因する問題で倒産する会社と、急激な社会や経済の変動によって、退場させられる企業もあります。そうではありますが、社会変動によって荒波に流される企業は、30年もの間、平穏な時代が続くと考える経営者が甘いわけで、「治に居て乱を忘れず」(易経)と備える経営者がいる企業が生き残るということでしょう。