韓国の囲碁棋士、李セドル氏がコンピュータに負けて話題になりました。
チェスや将棋と比べても戦い方のルールが複雑な囲碁では、コンピュータが人間に勝つのにあと数年はかかるだろうと言われていたのですが、コンピュータの成長は早く、今回、プロの棋士にも説明できないような圧倒的な力で人間をねじ伏せました。
これで分かったことは、ルールがある世界では、人間はもはやコンピュータに勝てなくなったということです。
人間にはありふれた負けの歴史
そもそも人間は、いろいろな能力で負けています。
走る速さでは馬に負け、機関車に負け、自動車に負け、飛行機に負けます。
力では、てこの原理に負け、フォークリフトに負けます。
これは、肉体的に負けていた人間が、さらにルールの中で何かを考えるという頭脳的な勝負でも負けるようになったということに過ぎないわけで、人類の歴史のひとつのマイルストンではありますが、かつて何度も通った道でもあるわけです。
また、何かに負けるたびに、その仕事に従事している人は職を奪われます。
例えば、馬よりも速く走れる自動車が開発されたことにより、馬を速く走らせる能力は、エンタテインメント以外に需要がほとんどなくなり、多くの騎手が失業しました。
これと同じように、機械によって仕事を奪われる人は増えていくでしょう。
実際、ワープロとプリンタの出現によって清書を仕事とする人はほぼ不要になっていますし、電卓や表計算ソフトによって暗算が得意な人の需要はほとんどなくなっています。
とりあえず機械にできないことを
今後、機械ができることはどんどん増えていき、それだけ人間がやるべきことは減っていきます。そして、今人間がやっている仕事の大半は機械ができるようになり、失業率が50%を超えるくらいから、ベーシックインカムのような仕組みが施行され、「機械が働くから、人間は働かなくてよい世界」が生まれると思われます。
我々は、そんな「人間が働く」世界と「機械が働く」世界の過渡期に生きています。
この過渡期の辛いところは、人間が働くことを前提に動いている世の中で、人間ができることが減っているため、「能なし」とされる人間が増えてしまう点です。
過半数が「能なし」になってしまえば、働く能力がないのが当たり前になってフリーダムなのですが、それまでは「能なし」イコール経済的、社会的弱者であり、辛いことが多くなります。
こうした事態を避けるためには、機械の能力を向上させ「能なし」がマジョリティになるよう後押しするだけでなく、とりあえず自分が機械にできないことをできるようにするのが大切です。
機械が得意なのは、ルールのある世界において、そのルールの中での最適解を見つけることです。だったら、我々はルールのない世界で新しいものを作りだしていく方向に能力を伸ばしていくしかないでしょう。
おそらく向こう10~30年は過渡期の「辛い世界」になります。
あなたの得意な仕事が「綺麗な文字で宛名を手書きする仕事」や「馬を速く走らせる仕事」でないか確認してみてください。それらに該当する場合は、「書道家」や「競馬の騎手」を目指すか、別の仕事に移るかを早急に検討することをお勧めします。(森山たつを)