日の出の勢いでメディアにも華々しく登場していたが...
「がんばった分がすべて給与に反映されるので、本当にヤル気が出ます。社長は私よりも若いのですがヤリ手で、利益の社員還元を基本に据えた素晴らしい会社ですよ。この会社でがんばって、さらに上のステージを目指します」
Mさんは、元々が大手証券会社勤務からの転職組でした。前の職場も実力主義の導入はあったものの、所詮は日本の金融機関。日本の大企業的な年功制的な考え方もまだまだ色濃く残されていました。加えて金融不況を経たあおりを受けて、実績と給与がストレートにリンクしない状況にイライラを募らせ、新興の不動産ファイナンス会社であるC社からのヘッドハントに乗ったのでした。
一方、C社は40代前半の社長の下、00年以降日の出の勢いでメディアにも華々しく登場して知名度を上げ、大型案件に次々絡んで急成長していました。社員は担当した成約案件の手数料の一部を報酬として受け取るという給与体系により、若くして年収数千万円プレーヤーもざらにいるなどとの報道から、人気の転職先としても脚光を浴びていたのです。
しかし、ミニバブルは長くは続きませんでした。C社の業績は急激に下降局面に入り、ミニバブル期に中途採用で入社した優秀な社員たちは、次々と去っていったといいます。人材面の弱体化は業績悪化に拍車をかけ、さらにとどめを刺したのが、08年のリーマンショックでした。結局、不良在庫と借り入れの金利負担に耐え切れず、あえなく倒産。最後まで会社に残っていたMさんは、路頭に迷うことになりました。
「C社は、おカネが社員を引き留めていただけでした。高額な報酬をチラつかせて優秀な社員を集めたものの、業績が悪化すると蜘蛛の子を散らしたように、皆いなくなってしまった。社長の経営姿勢に、社員の精神的支柱となるべきビジョンがなかったからだと思います。思い返せば、社内は個々人がバラバラだったのです。私は学生時代にアメフトをやっていたのでよく分かります。好調期は何をやってもうまくいく、でも窮地に陥った時、チームには『よし、ここで踏ん張ってやるぞ』という精神的な支柱が必要になります。個々がバラバラでは窮地では前に進めません。C社はまさしくそんな状況でした」