「ふだんは善人」が犯す悪事 その時、「心の中」で起きているコト
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懐疑的な性善説

   百歩譲って「悪魔のささやき」なるものが本当に聞こえたのだとしても、結局は欲望に負けて自分の意思でやったのであり、悪魔のせいにすることは許されない。「悪いのは自分の意思の弱さ、良識のなさである」ということをきちんと認めさせることなく、「魔が差した」で済ませてしまえば、再発防止はままならない。

   一方で、良からぬ欲望を抑えるのは簡単なことではない。三谷幸喜氏の脚本で注目を浴びているNHK大河ドラマ「真田丸」で、幸村の父を好演している草刈正雄氏のセリフに「人は皆、己の欲のために動くのじゃ」というのがあったが、私たちは「己の欲」と「人としてもつべき誠実さ」との間で葛藤を繰り返しながら、日々暮らしているのではないだろうか。

   前回書いた「懐疑的な性善説」は、このような葛藤の存在を冷静に見据えた考え方といえる。要は、人は誰でも、自分の意思の弱さ、認識の甘さが作りだす心の中の悪魔にそそのかされて不正の動機を抱き、「気づかれないだろう」と打算的に考えて、「ちょっとくらい」などと正当化してしまう恐れがある、というリスク感度を常に高めておくということである。

甘粕潔(あまかす・きよし)
1965年生まれ。公認不正検査士(CFE)。地方銀行、リスク管理支援会社勤務を経て現職。企業倫理・不祥事防止に関する研修講師、コンプライアンス態勢強化支援等に従事。企業の社外監査役、コンプライアンス委員、大学院講師等も歴任。『よくわかる金融機関の不祥事件対策』(共著)、『企業不正対策ハンドブック-防止と発見』(共訳)ほか。
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