筆者が行った長寿企業調査の回答社でもっとも歴史が長いのは、京都の和装会社の千總(ちそう)だ。戦国時代の1555年の創業だから今年で461年。発表されている会社規模は、売上高24億9000万円、社員数は78人(2015年)だ。創業以来の和装一筋で、売上にこだわらず、広告・宣伝に頼らず、地道な経営をしてこられた。
一般的に、長寿企業の長い経営の年月には、さまざまな出来事が起こる。販売先や仕入れ先の倒産、経営者の病気や事故。急激な経営環境の変化、戦争、地震、津波など枚挙にいとまがない。それらが起こった時、売上が急速にしぼんだり、社員の離職が相次いだりする。長寿企業は、このようなことにどう対処してきたのだろうか。
データから見る長寿企業の地道な経営
「事業の先行きが厳しくなった時には、どのように対処してきたのか」という質問を投げかけたところ、第1位は「顧客のターゲットを変えた」、第2位は「商品を変えた」であった。
1位の答えは、まずは、同じ製品か商品をマイナーチェンジして、いままでとは違った顧客に販売することを考えた、ということだ。製品は大きく変えないので、知識や経験は活かせる。売り方や販売文句や包装や値段などを変えることで、いままでとは違った顧客に商品をすり寄せていったということだ。
それでもだめなら商品を変えた。長年、慣れ親しんだ商品を変えるのは並大抵の工夫ではない。社長から前線の社員までさぞかし頭を悩ませたことだろう。
守るべきは地元の信用と雇用
アンケートの第3位の答えは、「原価を大幅に低減した」であった。同じ商品でも、かかっている原価を大幅に見直して、多少の品質を犠牲にしてでも、守ろうとするのは何なのか。それは地元の信用、看板である。アンケート回答の中に、場所を変える、という答えが見つからなかったのは筆者には意外だった。同じ商品を持って、それが売れそうな地域へ移動すれば、もっと簡単なように思う。
しかし、それをせずに、発祥した地元で商売を続けていこうとする。そこには「地元での信用こそ第一」という長寿企業の考え方が表現されている。そして、会社を移動させると、付いてこられない社員を解雇することになるため、その道を選ばない。長寿企業にあっては、地元で培ってきた信用と、信頼関係を結んできた社員との関係は、何ものにも変えがたいということが、この結果から読み取れる。
東京・赤坂本店の和菓子商「虎屋」も、室町時代後期に発祥した地である京都に、いまも店舗を構えている。長寿企業の粘り腰の本質が、ここに見える気がする。(浅田厚志)