21世紀になり、ひとつ言われているのが、「これから機械に仕事を奪われるのではないか?」ということです。
確かに、昭和の仕事場と比べると、すでに多くの仕事が機械に奪われているな、というのがわかります。
例えば、昔は会社に宛名などの字を書くのを仕事にしていた人がいました。この人たちは、ほかの事は考えず、来る日も来る日も宛名を書き続けることで給料がもらえたのです。
「昭和」にくらべ、複雑になった仕事
しかし、この仕事は、すべてPCに持っていかれています。PCで文面を作り、ボタンをひとつ押すだけで、きれいに印刷された紙がでてきます。そもそも、宛名を紙に書く必要もなく、多くの情報はe-mailで瞬時に地球の裏側まで届きます。
このように、今では考えられないような仕事が普通にあったのが昭和の時代です。 そして、このような仕事が機械に奪われたために、人間の労働者の仕事は複雑になりました。
営業職の人は、PCが来るまでは、宛名の一覧を作って、宛名書きの人に渡せば、あとは宛名書きの人が宛名を書いて、郵便番号が足りなければ調べて、宛先が部署や会社なら「様」ではなく「御中」を付けて、切手の値段を調べて、などということをしてくれました。
しかし、残念ながらPCとプリンタはここまで賢くないので、様か御中かを選ぶといったことは、自分でやらなくてはいけません。
日本なら1人分の仕事に5人がかりで
調べること自体は、Google先生に聞けば何でも教えてくれるので大した作業ではないのですが、いちいち、調べて、実行するということをしなくてはなりません。つまり、仕事が複数の人間の分業ではなく、1人の人間がPCを使って多くの仕事をしなくてはならなくなったため、細かいやることが増えたのです。
「文字をきれいに書く」「宛名の礼儀を正確に知る」など少ない種類の業務を深く知っていればよかった時代は過ぎ、たくさんの事を浅く広く知り、平行してたくさんの細かい作業を管理できる能力が必要になってきたのが21世紀だといえます。
この、たくさんの作業の同時処理をできる人が必要というのは、多くの人にとって非常に厳しいです。人間、誰しも得意不得意があります。逆に言えば、どんなに鈍くさい人でも、なにかしら得意なものはあります。
この子は字だけはうまい。この子は力だけはある。この子は計算だけは速い。そんな特技があれば、それを活かした仕事があったのです。しかし21世紀になり、必要な仕事はあらかた機械がやってくれるようになった場合、ひとつの特技だけしかない人は機械に勝てなくなってしまったのです。
フィリピンやカンボジアで生活をしていると、扉を開けるだけの人、テーブルを拭くだけの人、掃除をするだけの人など、ひとつの事しかしないスタッフがたくさんいます。日本のコンビニでバイトするスタッフなら1人で片付けるくらいの仕事に、5人以上の人が携わっていることもしばしばです。
なんでこんな事ができるかというと、賃金が安いから。東南アジアなら、まだ下手に機械化するよりもたくさん人を雇った方が安いのです。ただ、例えばレジなどは、今ではiPadが1枚あればあとは無料のアプリがあれば充分であるように、機械は加速度的に安くなっており、今後どうなるかは分かりません。
「人間が複雑な事をしなきゃならない問題」
この問題に対して、個人的にどうすればいいのでしょうか?
簡潔に言うと、機械ができないような、複雑な仕事ができるようになりましょう。機械を使って自分が生み出した仕事をするようになりましょう!という結論になります。
とはいえ、全ての人にそれができるのかというと、そうでもない気がします。
そうすると、社会保障でなんとかしなくてはならないのかな、ということを考えはじめてしまいます。
東南アジアから日本に行くと「すごく便利なんだけど、なんか疲れて居心地が悪い」ということを感じます。その理由のひとつが、この「人間が複雑な事をしなきゃならない問題」なのだろうなと思うわけです。
コンビニの店員までもが、複雑な作業を機械を使いながら同時並行でこなしている。それ故に、多くの人がキャパシティ以上に脳みそを使いすぎていていつも疲れている社会。
便利になりすぎの副作用をこれからどう解消していくか。日本の新たな課題だと思います。
じゃ、そういうことで。(森山たつを)