性善説VS性悪説 不正対策のツボとなる考え方は・・・ 【企業不正に手を染める~】

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教育の重要性

   では、どのように解釈すればいいのだろうか。筆者が知る限りでは、性善説は、中国の思想家孟子が唱えたもので「人は生来、善の素養(他人への思いやり、善悪の分別、不正を恥じる気持ちなど)を備えている」という考え方である。

   但し、それには続きがあって、「しかし、放っておくと外部の影響を受けて善に反する行為をしてしまう恐れがあるため、教育によって善の素養を高め続けなければならない」とも説いているそうだ。つまり、性善説は「みんないい人だから大丈夫」というのではなく、「人が本来備えている善の素養を信頼しつつ、外から悪い影響を受けて不誠実な行いをしてしまわないように注意せよ」という考え方だといえるだろう。

   一方、性悪説は、同じく中国の思想家荀子が唱えたもので、「人は生来、利己的になったり他人を恨んだりするものであり、放っておくと善に反する行為をしまうため、教育によって善の素養を備えさせなければならない」という考え方をする。つまり、性悪説は「人はみんな悪人だから気をつけろ」という人間不信に満ちたものではなく、「人の性(さが)が不誠実な行為につながらないように注意せよ」という説だと解釈できる。

甘粕潔(あまかす・きよし)
1965年生まれ。公認不正検査士(CFE)。地方銀行、リスク管理支援会社勤務を経て現職。企業倫理・不祥事防止に関する研修講師、コンプライアンス態勢強化支援等に従事。企業の社外監査役、コンプライアンス委員、大学院講師等も歴任。『よくわかる金融機関の不祥事件対策』(共著)、『企業不正対策ハンドブック-防止と発見』(共訳)ほか。
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