新年の風物詩、箱根駅伝を2年連続で征した青山学院大学。今(2016)年は、全区間で一度も首位を譲ることのない完全優勝を遂げ、強さに益々磨きがかかったとの印象を強くしました。
弱小チームを一躍優勝チームに生まれ変えた立役者である原晋監督の手腕については、昨年も当コラムでサラリーマン時代に培われた素晴らしい営業力に焦点を当てて取り上げたのですが、今年も監督に関する報道を読めば読むほど、弱小チームを常勝チームに変えた手腕は優秀な経営者のそれに近く、参考になる話が多いと思わされることしきりです。
守・破・離
監督は昨年の初優勝以降、上半期はテレビ、雑誌をはじめとした取材攻勢に会い、その後も日本各地からの講演依頼が引きも切らず、週の半分は監督が練習に不在ということも当たり前のようにあったと言います。メディア出演や講演活動への傾倒は、一部選手から不安視され、周囲から批判を浴びることもあったのだと。それでもそれらは原監督には、それなりの考えがあっての行動だったのです。
原監督は昨年の初優勝後、初のミーティングで、選手たちにこんなことを言ったそうです。
「今度は監督じゃなく、4年生を中心に優勝を勝ち取れ。今度はおまえたちがヒーローになる番だ!」
権限委譲と自主性、主体性の重視の教育。監督があえて取材を受け、講演活動にも力を注いできた裏にはそんな狙いがあった、とうかがい知れる言葉です。
弟子教育のあり方について、古くから伝わる、世阿弥の教えとも言われる考え方に、「守・破・離」というものがあります。弟子にまずは、師の教えを徹底的に「守」らせることが成長の第一歩。ある程度の水準に達したら、少しずつ自分なりのやり方をやらせていく「破」に移行します。そして、さらに成長を遂げたらなら師の下を「離」れさせ、弟子に新たな道を歩ませることで一本立ちさせる。それが、「守・破・離」の考え方です。原監督の自主性や主体性重視の姿勢は、まさにこの「守・破・離」の実践と言えるでしょう。
コミュニケーションは量が質をつくる
私が見てきた中小企業経営者、特にオーナー経営者の多くに共通して一番できていないことが、この「守・破・離」における「守」から「破」への移行です。自身の教えを守らせることはたいていの経営者が手掛けますが、「そろそろ君自身のやり方でやってごらん」とはなかなか言えないのです。「私の言うとおりにやっていればいい、それが一番間違いないのだから」、それでは部下が大きくは育たないのです。「委譲」が組織を強くする、そんなことを痛感させられる思いです。
ではなぜ、原監督は「委譲」の決断が容易にできたのでしょう。原監督をめぐる報道で今年も目を引くのは、選手たちが監督をして「魔法の言葉使い」と口をそろえるそのコミュニケーション力の高さです。その裏にあるのは、「コミュニケーションは量が質をつくる」というコミュニケーションの大原則を地で行く日常生活にあります。
選手の合宿所に夫人と共に住み込み生活をして「これ以上密な、報・連・相はない」と選手に言わしめるほどのコミュニケーション量は、まんまコミュニケーション力として活きているのです。そしてこの確固たる双方向コミュニケーションの存在こそが、「委譲」を支える自信につながっていることは間違いないのです。
学ぶべき2点の管理手法
「守・破・離」の精神で自分の型を押し付けることなく選手たちに自主性、主体性を持たせた育成をしつつも、圧倒的なコミュニケーション量で信頼関係を構築し何でも相談できる関係をベースにして、決して放し飼いにはしていない。「委譲」と「コミュニケーション」、その絶妙なバランスの上に立ったチーム・マネジメント。原監督の目覚ましい実績につなげた管理手法は、そう表現していいでしょう。
そこまで考えてみて、私が見てきた何人かの優れた経営者、すなわち社員に慕われ、部下育成に優れ、立派な後継者を早々に育て上げた方々と共通するものがまさにこの手法であったと、気がつかされました。一見「それまでしっかり握ってきたリードを自らの手から離し、メンバーに自主性、主体性を持たせ」つつ、「双方向のコミュニケーション量を確保することで、強固な関係を保つ」という、全く同じ「委譲」と「コミュニケーション」のバランス感覚が彼らにも共通するやり方だったのです。
「自分が先頭に立ってやらなくちゃ会社がダメになる」「部下には怖くてとても任せられない」という社長の意識が、人材が育つことを阻害し、次世代へのバトンタッチを遅らせている例は、大企業を含め枚挙に暇がありません。今年青山学院大学駅伝チームを常勝軍団にまで高めた原監督の管理手法から学ぶべきことは、「委譲」の決断と量を意識した双方向の「コミュニケーション」。今年は、この話を権限移譲、部下育成、後継問題等で悩まれる多くの経営者にお伝えしていきたいと思います。(大関暁夫)