「アドラー心理学」が注目されている。Amazonで検索すると、子育てから職場のコミュニケーションまで、様々な分野に関連づけた解説本がヒットする。筆者も最近、『アドラーに学ぶ職場コミュニケーションの心理学』(小倉広著、日経BP社)という本を読んでいる。
日本アドラー心理学会のウェブサイトによれば、アドラー心理学の理論にはいくつかの特徴があり、その1つに「客観事実よりも、客観事実に対する個人の主観的認知のシステムを重視する」という考え方があるそうだ。
コップに半分の水
「個人の主観的認知」について、小倉氏は、有名な「コップの水」の話を引き合いに出して説明している。半分まで水が入っているコップを見て「半分しかない」と思う人と「半分も入っている」と思う人がいるように、客観的には同じ状況でも見る人の主観によって捉え方は大きく変わるということだ。「すべては主観である」という考え方が、アドラー心理学を理解する重要な鍵であると小倉氏は述べている。
不正リスクについても、心理学的な考察が不可欠である。では、不正リスク分析の定番ともいえるもので、当連載でも何度か紹介した「不正のトライアングル」には、アドラー心理学に通じる要素はあるだろうか?次のクイズで考えてみよう。
「個人の主観的認知」により生じるものは
問:「不正のトライアングル」の3要素のうち、「個人の主観的認知」により生じるのはどれか。
1:プレッシャー・不満(の抱え込み)
2:機会(の認識)
3:正当化
正解は・・・「1、2、3」すべて、である。ということは、不正対策とアドラー心理学とは関係が深そうだ。
まず「プレッシャー・不満」という要素が、主観的認知により生じるというのはわかりやすいだろう。プレッシャーに強い人と弱い人がいるのは、プレッシャーの受け止め方が人それぞれ違うからである。また、会社における処遇(昇給、昇進など)への満足・不満足も、本人の主観的なとらえ方次第である。
「機会」は、チェックの甘さや役割・権限の集中など、内部統制の不備によって生じる。そのため、機会の存在自体は「客観事実」といえるだろう。しかし、不正を犯そうとする者がその存在に気づかなければ、不正のトライアングルは作られない。
他人のみならず自分も欺く
米国の犯罪学者ドナルド・R・クレッシーは、この点を「perceived opportunity」つまり「認識された機会」という表現を用いて強調している。「上司のチェックは甘いから」「預金の管理は自分に一任されているから」横領してもばれないだろうと主観的に認知してはじめて、機会の存在が不正リスク要因となるのである。
「正当化」が、主観的認知の産物であることは明らかだ。横領を正当化する理由づけとして最も多いのは「盗むのではなく一時的に借りるだけ」というものだと言われているが、客観的かつ冷静に考えれば、横領という犯罪行為を正当化する余地など全くない。プレッシャーや不満を抱え込み、目の前に機会があると認知した人は、正当化という要素を主観的にでっちあげて、他人のみならず自分も欺くのである。
主観というのは、本人がそれを言葉や態度で示してくれない限り、他人には分からない。ましてや「私は今、不正のトライアングルを認知し、それを利用しようと考えています」などという主観を表に出す人はいない。そこが不正対策の難しさであるが、アドラー心理学の理論を活用して部下の主観的認知に対する感度を高められれば、不正のトライアングルを作らせない職場づくりに役立てることができるかもしれない。(甘粕潔)