先日お目にかかった中堅自動車部品メーカーG社のH社長。大学生の一人息子が成人したお祝いにロレックスの時計をプレゼントしたのだと、嬉しそうに話していました。聞けば買い与えたのは百万円近くもする腕時計。成人のお祝いに随分高価なプレゼントをあげたものだと思い、その意図を尋ねてみました。
「息子にはうちを継がせようと思っていましてね。本人も異存はないようで一安心なのです。あとは会社に入ったら出来るだけ早い段階で、社長のイスを譲りたい。そのためには今からでも経営者としての教育をしなくてはいけません。高価な時計をプレゼントしたのは、成人したこの機会に来たるべき時に備えて、今から「本物」を知っておけという意味を込めたものです。これもまた、いわゆる帝王学というやつですよ」
なるほど、ご子息を自分の跡を継ぐ立派な経営者に育てたい、社長の思いは十分に伝わってはくるのですが、私には過去の嫌な記憶が頭をよぎってしまいました。
●●しか持たないことにしている
北関東の工場内整備機械メーカーS社のT社長は早くに創業者である父を亡くし、やむなく跡を継いだ母の女手ひとつで育てられ、大学卒業後に入社するとほどなく若くして社長に就任した2代目経営者でした。当時、私は銀行員。彼の特徴は、上から下までブランド物で固めた身なりでした。バブル期に学生時代を過ごしたという影響を勘案しても、年上で銀行員の私から見て、経営者として違和感を覚えさせるものでした。
ブランド物が好きな経営者というのは意外にいるものです。昔から、「僕は身の回りのモノは、ダンヒルしか持たないことにしているんだ。モノが良いからね」「バーバリーを一度身につけると安物は着れない。私はコートから下着まですべてバーバリーと決めているよ」、などと公言してはばからない経営者。口には出さなくとも、ブランド物をこれ見よがしに身にまとう自信に充ち溢れた経営者の表情は幾度となく見て来ています。
心理学を扱った本によれば、ブランド物が好きな人ほど実は自分の内面に自信がないのだとか。ブランド物を身につけることで「高級感」を身にまとい、それを身につけている自分自身もまた周囲から「高級感」をもって見てもらえるに違いない、という潜在意識がそうさせているのだと。自分では出せない人間的高級感を、ブランド品に頼って出そうとしている。現実に、この話に思い当たる経営者は多いものです。