(2015年)12月1日より、従業員数50人以上の企業は従業員へのストレスチェックの実施が義務付けられた。厚労省のガイドラインに沿ったストレスチェックを行い、高ストレス状態と判断された従業員が希望する場合、企業側は何らかの対策を取らねばならないことになる。
ここ10年以上、日本企業におけるメンタルトラブルはほぼ一貫して増加傾向が続いてきた。日本生産性本部の調査によれば、「心の病」が減少傾向にあるとする企業7.8%に対し、増加傾向にあるとする企業は37.6%に上り、その多くは働き盛りである30~40代に集中している(第6回 『メンタルヘルスの取り組み』に関する企業アンケート調査結果より)。労働力不足とも相まってメンタルトラブル対策は喫緊の課題の一つと言っていい。
とはいえ、筆者自身は今回の新制度について非常に懐疑的なスタンスだ。理由は以下の3点による。
排除の動きへの懸念
1:ストレスの有無はわかるが、企業の取れる対策は限定的
一般にストレスに苦しむ社員というと「山のような仕事を抱え込んだり、会社からのプレッシャーに押しつぶされそうになったりしている人」というステレオタイプがあるようだが、実際にはそうした分かりやすいタイプは少数派だ。業務量も多くはなく、ノルマとも無縁な部署の人が突然メンタルトラブルを発症したりして、周囲から「なぜあの人が」と驚かれるようなケースの方が多い。
筆者の知るケースでも、なんと従業員の1割がメンタルトラブルを発症して通院中という企業があったが、残業時間も少なく有給取得率も平均以上、およそ『ブラック企業』などとは無縁の優良企業で驚いたことがある。
要するに、ストレスというのは仕事に加え、家庭事情や個人の内面的問題も絡み合った複雑なものであり、企業のとれる対策は極めて限られるということだ。
2:社会保障の丸投げは、企業の弱者排除をもたらす
ストレスチェックの実施と対策の義務付けは、要はそうした社会保障制度の企業への丸投げに過ぎない。ということは、企業は予防措置として、あらかじめそうしたリスクを排除しようとするだろう。
意外に知られていないが、採用時にメンタルトラブル傾向のある人材をチェックするサービスは既に存在し、それなりに需要もある。今後は一層、そうしたサービスが浸透し、メンタルトラブルの傾向のある人間は、あらかじめ採用対象から排除されることになるだろう。(※下記、注1)
3:大手と中小の格差が、そのまま社会保障の格差につながる
もう一つ、重要な点を付け加えておこう。今回の制度は従業員数50人以上の企業が対象だ。最初からそれ以下の企業は対象にはなっていない(もっとも対象としたところで、その規模の企業であれば配置転換などの対策もとれないから、どのみち形骸化するだろうが)。
処方箋はどうあるべきか
というわけで、これから日本社会には、一応は抱え込んだストレスの度合いを調べてもらい、場合によっては異動やカウンセリングなどの対処をしてもらえる階層と、そうしたケアとは無縁の中小零細企業社員、およびあらかじめメンタルトラブル予備軍として排除された弱者という風に二極化していくことだろう。
そして、右巻きの人は「努力して大企業に入らなかった彼らの自己責任だ」と下の方を非難し、左巻きは「経営者が悪い。とりあえず安保反対デモに参加しましょう」と矛先をそらすという、毎度ながらの見慣れた光景が展開されることだろう。これが、筆者が新制度に懐疑的な理由である。
では処方箋はどうあるべきだろうか。鍵は労働市場の流動性にある。国際的な比較調査において、日本人は仕事への満足度がかなり低く、転職する意欲も薄いことが明らかとなっている(ISSP職業意識調査2005より)=図1=。要するに、仕事に強い不満を抱えつつ、転職もせずにずっと不満を抱え続けたまま、世界でもまれに見る長時間労働を甘受し続けているわけだ。筆者はこの点にこそ、日本人のストレスの本質的な原因があると考えている。
ならば、一見遠回りに見えるかもしれないが、流動的な労働市場の構築こそ、ストレスを抑えるための本質的な改革だろう。「今の仕事も好きだし、よりよい仕事環境につくためには、いつでも転職しますよ」という社会への移行である。
新卒で理想の会社に入り、配属で「これぞ天職だ!」と思えるような職場に配属される人はごく少数だ。たいていは、社会人経験を通じてより魅力のある仕事を見出したり、隠れていた自分の適性に気付いたりするもの。であれば、後から別の選択を取りやすくした方が、長い目で見れば日本人は幸福になるのではないか。
<*注1>とはいえ、筆者はそうした傾向のある人材を事前にチェックすること自体に疑問を持っている。それは「誰にでも起こり得る」というのが筆者の経験だからだ。(城繁幸)