知り合いの税理士Gさんから、顧問先製造業J社の事業承継について相談を受けました。社長本人はご子息に事業承継する意思はあるのだけど、どうしても踏み切れずに数年が経ってしまったのだと。
「社長は、創業者なので多少ワンマンなところはあるものの、『俺が、俺が』ではありません。専務を務めるご子息は既に50歳。大手企業で修業を積んだ優秀な技術者で、社内の人望もあります。数年前から事あるごとに、とりあえず会長職に退いてご子息をフォローされてはどうかと打診しているのですが、『それじゃ何も変わらない。任せられると思えたら、さっさと譲ってきれいに身を引きたい』と言いつつ、結局状態は何も変わらずなのです。社長は来年80歳。どう説得したらいいのでしょう」
営業力のダウンを懸念して後継に道を譲れない
社長の心配事は、自分が退いた場合に今のご子息では自分の仕事を十分に引き継げないだろうということ。特に社長が不安に思っているのは営業。会社を大きくし今も精力的に動いている社長の営業活動が、いくら指導してもご子息には身につかないことが最大のネックだったのです。
オーナー企業が創生期を経て安定成長期に移行させる一番の立役者は、ほとんどの場合創業社長であるのです。どんなに優れた技術やアイデアを持って起業をしたとしても、それ一本で企業を長期安定軌道に乗せるのは至難の業。やはりそこには創業社長の並々ならぬ営業努力があってこそ、成し得ることなのです。
技術や職人技は、見込みのある人間に徹底的に教え込むことである程度納得のいく形で引き継ぐことができるが、創業社長の営業ノウハウは自己の個性に依るところが大きく、なかなか簡単に引き継げるものではない。そんな風に思われる節も多く、営業力のダウンを懸念して後継に道を譲れず、結局事業承継に失敗し、最悪は廃業に至る例もあるのです。
この話から思い出したのは、弊社が営業コンサルティングを手掛け始めた頃の事です。技術系中堅企業T社から「営業部隊にいくら教育しても進歩がない。BtoB営業の基本体制を作ってもらえないだろうか」という依頼を受けました。それを受けて私が提案したのは、トップ営業である社長のスタイルをマニュアル化することでした。
マニュアルという言葉は使わず
しかし社長の反応は芳しくなく、私の提案にこう言いました。
「これまで私のやり方をいくらやらせようとしたところで、うちの営業たちは全く付いてこられていない。だから私がいつまでも営業の先頭を走り続け、彼らがその手伝いをしているわけです。私の営業をマニュアル化したところで、結局私の個性で稼いでいる営業活動ですから、現実には意味がないのではないかと思うのですが」。
社長がイメージするマニュアルと、我々が作ろうとしているものにはだいぶズレがあったのですが、「社長がいなくとも稼げる営業スタイルをいかに定着せるか」という作成の目的にご理解をいただき、作業に移ることになりました。
我々はまず、現場の営業活動実態を調査し問題点を洗い上げました。その上で、社長が創業から今に至る間にどのような営業活動をし、どのようなことを心掛けて来たのか、何度かに分けて入念にヒアリング。さらに社長の外訪活動にも随行し、その「個性的」な営業スタイルを入念に分析しました。そして作り上げたものが、「営業マグナカルタ」でした。マニュアルと言う言葉は社長だけではなく、社員からもファストフード的な没個性のスタイルを作り上げるとの誤解を生むと考え、命名に工夫をしたのです。
マグナカルタとは「法の支配」と言われる中世イングランドの法典であり、王も「法」の下に置き市民には「法」下での自由を与えた大憲章です。すなわち営業を社長が思う型にはめるのではなく、社長が作ってきた営業スタイルから優れたポイントを抜き出しかつ個性の部分を削ぎ落として現状の問題点にはめ込む。それを「法」としながらも個々の営業担当には自由な営業を展開させる、それが「営業マグナカルタ」です。
「そろそろ悠々自適な生活に」
「営業マグナカルタ」は営業部隊を変えたようでした。社長の成功体験を基にした一定の「法」を作ったことで営業が必ずすべきことは何かが明確になり、同時にその場その場での個別指導という社長スタイル押し付けからの解放が営業担当に主体性も与え、担当者の実績は軒並み向上したのです。
これにより一番変わったのは社長でした。あれこれうるさく指導し先頭を切って営業の切り込み隊長をしなくても皆が自主的に動けるようになって、社長自身の営業活動比率は徐々に減りました。そして技術に営業にと馬車馬の如く働いていた社長から、遂にはこんな話まで聞かれるようになったのです。
「創業から今まで自ら走る短距離走の繰り返しで先の事など全く考えられなかったのですが、マグナカルタのおかげで私自身の気持ちに余裕ができて長期的な目で物事が考えられるようになりました。もうそろそろ悠々自適な生活に移ってもいいかなと思っています」
冒頭の税理士Gさんはこの話に大変関心を示してくれ、近々J社社長とお目にかかることになりました。「営業マグナカルタ」を、始めから事業継承目的で作成したことはありませんが、きっとお役に立てるのではないかと思っています。(大関暁夫)