富士ゼロックスの社長、会長を務めた小林陽太郎氏が亡くなられました。経済同友会代表幹事としても活躍された、日本を代表する経営者でした。
亡くなられた直後に各紙面に記された生前の氏に対する経営者評はと言えば、積極的に外との交流を広げる国際派の草分け、公平さを見失わず言うべきことを言う正義漢、人を大切にし人を育てることにも力を注いだ教育者・・・。どれも氏を表すにふさわしい形容であると思われます。
「言い過ぎた」ときは自筆の手紙を
私は以前、氏を経営者の手本としてあがめ実践していたお取引先の社長から、小林氏の経営哲学の中小企業経営への応用形を勉強させてもらったことがあります。その方は、機会部品メーカーのK社長。お若くして既に故人となられてしまわれた方ですが、存命時には「大学の先輩でもあるのだが、経営者の先輩として大変尊敬に値する」と、様々な面で小林氏を手本として自身の経営にもとり入れてこられたのでした。
私のK社長に対する第一印象は、「とても礼儀正しい方」というものでした。折り目正しくご挨拶され、当時の私のような若輩者相手でもスッと背筋を伸ばして、まっすぐまなざしを向け決して腕組みなどすることなくお話をしてくださいました。この姿勢は、社内外を問わず誰に対しても同じであるという話を社員から聞いて、2度驚かされました。後にご本人から聞いたことですが、その応対姿勢もまた小林陽太郎氏に学んだことだったのです。
先の小林氏に関する3点の形容については、それぞれにK社長独自のとり込み方がありました。例えば、「積極的に外との交流を広げる国際派の草分け」については、「海外に出ることは我々中小企業には無縁な話であるけれど、小林氏の外との交流を広げる姿勢は見習わなくてはいけない」と、様々な会合や勉強会の類に積極的に出席し、外部人脈との交流を深めていました。それが功を奏して新規の取引を生んだり、はたまた外部人脈との情報交換から新たなビジネスのアイデアが誕生したり、様々なメリットがあったと言います。
「公平さを見失わず言うべきことを言う正義漢」については、相手が誰であろうとも小林氏に習って思った時に思った通りに言う、ということを徹底して実践されていました。そして、これも小林氏に習ったことだと話していましたが、少しストレートに言いすぎたなとか、厳しく接して相手が落ち込んだようだなと思う時は、その人宛に手紙をしたためていたと聞きました。
「手紙は誰からいただいてもありがたいものです。電話じゃ伝わらない感情も、不思議と自筆で書いた手紙では伝えることができるのです。口頭よりもむしろ感情が伝わるものでもあるのです。私は小林氏が、手紙で部下をほめたり励ましたりしている話を聞いて、素晴らしいと思い、すぐさま真似をさせてもらいました。おかげさまで、社内の信頼関係をしっかりと築きあげることができたと思っています」
社員に「自筆コメント付き」書籍を手渡す
「人を大切にし、人を育てることにも力を注いだ教育者」についてはこうです。中小企業は社内研修なんてとてもやれるだけの余裕はないからと、小林氏がゼロックスの新入社員宛にやっていたというやり方を参考にして工夫しました。時々、社員一人ひとりに読ませたい書籍の裏表紙に自筆でコメントを書いて手渡すことで自己研さんを促すなど、常に社員一人ひとりの成長を願っていたのです。
「社員が時には押しつけがましいと思っているかもしれませんが、せめてもの親心です。社員一人ひとりに何が足りないのか、常にそこを補ってあげることを考えて書籍を選んでいます。もちろん私自身も同じ本を読むことで知識の共有ができ、時々その話題で会話を交わすことで社員との一体感も生まれるわけなのです」
私は、大企業のリーダーである小林陽太郎氏の経営哲学が、こうして中小企業経営に活かされていることに驚きました。K社長ほどの思い入れある対応ができるか否かは別としても、「大企業経営者のやり方は中小企業には参考にならない」と一蹴してしまうのは違うと、私はこの折に学ばせていただいた次第なのです。
最後に余談ですが、その後の事。ある時に現社長であるご子息Sさんもまた、先代の遺志を継いで同じ経営スタイルを貫かれていることに気が付かされる出来事がありました。Sさんからいただいた年賀状にあった彼の第一子のお名前が陽太郎だったのです。名経営者小林陽太郎氏の経営哲学は、名もない中小企業経営でこうして脈々と生き続けていくのだなと、実に感慨深い思いにさせられました。
小林陽太郎氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。(大関暁夫)