日本の「無言のプレッシャー」が怖い 「マナー違反」監視社会?

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   もう海外暮らしが長くなった。出張のたびに日本にいくが、最近なんでもないことにビクビクするようになった。

   たまに、幅が一人分しかない狭いエスカレーターがある。これに乗るとき、後ろがつまってないかビクビクする。疲れているのでしばらく休みたいが、後ろに人がたまっていると、歩かないと行けないんじゃないかと思う。

   そういうとき私は歩かないけど、後ろのひとの無言のプレッシャーはすごい。

   正直、むかしはなんとも思わなかったが、最近は、こういうプレッシャーに弱くなった。 なので、最近の日本の印象は、

「怖い国」

   というものだ。

   なんでも、なにかすべての行動が、無言のマナーによって監視されている気がする。

リクライニングの際、気になるのは・・・

うしろが気になる・・・
うしろが気になる・・・

   先日、空港からのバスにのった。空港バスはそれなりにいいバスなのか、かなりリクライニングできる。夜行便で帰ってきて、ほとんど眠れなかった私は、最大限にリクライニングをして、東京駅につくまでの1時間あまりの時間を眠ろうと考える。

   しかし、リクライニングするのすら、怖くなってしまったのだ。

「座席を倒していいですか」

   最近は、そんな許可を求めることが必要だと聞いたからだ。もしかしたら、リクライニングしたらぶん殴られるのではないか。

   もしくは、許可を得ないとマナー違反だとなじられるのではないか。

   悶々と考えてしまう。座席を倒していいですか、という質問に対して、後ろのひとが、

   「いやです」といったら、どうするのか。もうリクライニングはできないのか。なんの権利があって、いやといえるのか、リクライニングするのは保証された権利なのかそうでないのか。

   そんなことを考えて一人で怖くなったり怒ったりしていたら、眠れなくなり、東京駅にそのままついてしまった。

   リクライニングしようが、携帯でしゃべろうが、音楽を流そうが平気なベトナムの車内がなつかしくなった。はっきりってベトナムの車内も迷惑だが、日本のピリピリとした雰囲気の車内は、怖い。外国に住んで空気をよまなくなって長らくたつが、逆に日本の空気は敏感に察するようになったと思う。で結局それは無視するんだけど、精神的には負担である。(大石哲之)

大石哲之(おおいし・てつゆき)
作家、コンサルタント。1975年東京生まれ、慶応大学卒業後、アクセンチュアを経てネットベンチャーの創業後、現職。株式会社ティンバーラインパートナーズ代表取締役、日本デジタルマネー協会理事、ほか複数の事業に関わる。作家として「コンサル一年目に学ぶこと」「ノマド化する時代」など、著書多数。ビジネス基礎分野のほか、グローバル化と個人の関係や、デジタルマネーと社会改革などの分野で論説を書いている。ベトナム在住。ブログ「大石哲之のノマド研究所」。ツイッター @tyk97
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