東芝の不適切会計の問題は、遂に歴代3社長の辞任という形で経営責任に及ぶに至りました。新聞報道を見る限りにおいてその根本的原因は、歴代社長間における権力争い、すなわち事業部間における勢力争い、言いかえれば派閥争いという問題に立脚した歴代トップの行き過ぎた目標達成命令にあったようです。
派閥とは、同一の組織内において利害を一とする人たちの集団のことを指します。利害が一致するか否かが、単なるグループとの最大の違いです。1番分かりやすい例は、政治政党における派閥です。
事業多様化の中で起きた変化
仮に派閥のトップが首相や政党の代表になれば、その派閥に属する者は組織内外の要職に着くことができ、地位的あるいは経済的にも様々な恩恵が得られるわけで、当然、自身の派閥の長がなんとしても組織の長に立てるように努力を惜しまないのです。また、派閥争いが行き過ぎてしまうと、同一組織内で足の引っ張り合いが起き、最悪は離党、解党などということにまで及んでしまうのも間々あることです。
会社組織に翻ってみると、オーナー企業においては同族間での権力争いが起きるような事態を除いて派閥というものはあまり縁がないと言っていいと思います。なぜなら、オーナー企業においてはオーナー=社長が経営の全権を有しており、オーナー家以外の社員はどこまで出世してもナンバー2止まりであるならほとんどの場合その権限もごく限定的なもので、派閥を構成しても派閥構成員たちのメリットはほとんどないからです。
つまり派閥争いというものは、たいていはサラリーマントップ企業に特徴的なお話なのです。中でもトップの座につくことで、権限、名誉、報酬等々でそれなりのメリットがある企業のみ。細々と生きている弱小企業や、大企業でも赤字続きでトップに座るうまみのない企業では派閥はできません。作ったところで意味がないですから。
東芝は、言わずと知れた日本を代表する大企業です。その実態は、「電力・社会インフラ」「コミュニティ・ソリューション」「ヘルスケア」「電子デバイス」「ライフスタイル」の5つの事業グループで事業を進めています。トップ人事に関しては、以前は絶対的事業基盤であった「電力・社会インフラ」グループからほぼ毎回トップが輩出されるものと暗黙に決まっていたものが、ここ最近は事業多様化の中でその流れが崩れました。
「派閥活動をしたものは厳罰に処す」宣言の意味
この変化により全社トップがどのグループから勝ち上がるかで、社内の風向きが完全に変わってしまうことになったのだといいます。そんな中で、トップ主導による事業部単位での派閥争い繰り広げられ、各グループはグループの威信を賭けて何としてもトップの要求に応える無理を押し通す状況を生んでいったのです。
「私は、後任に社長の座を譲ると決めた段階で社内に『派閥活動をしたものは厳罰に処す』との宣言をしました。サル山のサルと一緒で、サラリーマン同士の派閥抗争は遅かれ早かれ必ず起きます。ひとたび起きれば、本来外に向けられるべき企業エネルギーが内向きに発せられることになり、組織が不要な疲弊をきたし、時には経営を危うくすることにもなるのです。私は多くの取引先企業を見てきてそう思ったのです」
その昔、私が新聞記者をしていた時代に、一代で上場企業を作り上げたオーナー創業者がオーナー家以外の人材に社長の座を譲った際のインタビューに応えて、こう話してくれたことを思い出しました。実際にその後私の周りでも、オーナーが血縁以外にトップの座を譲った後に社内で派閥抗争が起き、有能な人材の流失につながるなどして事業に支障をきたした例をいくつか見てきました。オーナー社長がオーナー家以外の後継にトップを譲る際の、意外な盲点であるなと思ったものです。
派閥抗争が嵩じてトップの行き過ぎた目標達成命令になり、会社全体が次第にブラックな事案に手を染めていくことなった――。オーナーと言う軸がある組織とそうでない組織では、組織の力学も自ずと異なってくるのです。ワンマン独裁がいいのか、合議制的ピラミッドがいいのか、一概にその判断は難しく、それぞれの長所短所は様々にあるでしょう。東芝問題ははからずも、人が集まりその中から選ばれた人が動かす合議制ピラミッド組織マネジメントの大きな落とし穴を、私たちに示唆してくれたのではないでしょうか。(大関暁夫)