『男性漂流 男たちは何におびえているか』(奥田祥子著、講談社+α新書、税別880円)
単身赴任中の中年男性が自宅に帰り、深夜に赴任先に戻るため家を出る時、心に浮かぶのは何だろう。「妻が見送りに出てこなかった」ことに激高した夫が、自宅に放火して子供4人が亡くなったニュースが流れたとき、読んでいたこの本に登場する男たちがニュースに重なって仕方なかった。
日本の男たちがいま、何にぶつかり、さまよい、そして病んでいるのかを、等身大で綴った本である。著者は新聞記者時代から10年以上も男たちを追い続けている。女性であることが、取材を難しくしているようでもあり、逆に取材される側の心理的なハードルを下げているようでもあり、著者の葛藤もからまりながら、「フツーの男たち」が溜息と懊悩を吐き出している。
横たわる社会経済的な構造問題
取り上げる世界は、「結婚」「育児」「介護」「老い」「仕事」の五つ。男からすると、自分の年代や境遇に応じて読む順番も、読み飛ばすページも変わってくるだろうが、「あの時の俺だ」「10年後の俺か」と思うようなリアリティを感じさせる。
バブル崩壊後、大量の若者が非正規社員のまま中年を迎え、正社員といえども終身雇用をあてにできなくなったという社会経済的な構造問題が横たわっていることもわかる。
なにより、男たちの苦しみの共通項は、「男らしさ」の呪縛であることをえぐり出す。それは対女性に限らない。男同士、そして世間からこう見られなくては、という「見栄」が精神をむしばんでいく過程は身に沁みる。
「婚活」「イクメン」「介護休暇」「アンチエイジング」「正社員」――メディアがふりまくキーワードに振り回される男たちの姿は、多くの家庭と職場に似通っている。
ここに書かれていることが、自分とは全く関係のない世界と思える男がいれば、今まではよっぽど恵まれた人生を送ってきたか、感受性が極端に乏しいか、のどちらかだろう。
著者も断っているように、登場する男たちは最終的には「希望の光を見出した」ケースだ。世間の眼から解き放たれ、己の弱さを見据えた先に危機を乗り越える道を見出す結末には、少し救われる思いも感じる。
本書を読み終え、自宅に放火した男は何から解放されねばならなかったのか、あらためて考えた。(MD)