それなりに意味がある「役員定年70歳に設定」
結果的には2年ほどして、「私は引退するので、息子たちの応援をして欲しい」と社長から連絡があり、当初とは違う関わり方ではありましたが新体制の支援をさせていただくことになりました。社長は名目だけの相談役に退いて、ご子息を中心とした新体制をスタートさせることになったのでした。
そんな形で再開したお手伝いの合間に、完全リタイアしたHさんといろいろお話をする機会を得ました。その折に、Hさんは以前のドタキャンの件を詫びつつこんな話を聞かせてくれました。
「もしかするとお察しかもしれませんが、あの時なぜ自分が急に改革着手をストップしたくなったのか、後になってじっくり自問自答してみると、自信がなかったのは会社に対してではなく、自分に対してだったのだと気がつきました。もっと具体的に言えば、改革とは縁遠い40年を過ごしてきた当社で、いきなり変革が進めば進むほどそのスピードに着いていけなくなりはじかれてしまうのは、社員ではなくて年老いた自分じゃないのかとね」
企業でワンマン体制からの経営近代化をはかることを宣言して、改革に向けた社内のアンケート調査をとると、たいていのケースで社員は改革を歓迎しているという傾向が出ます。むしろ、いざ改革を目の前にすると腰が引けてしまうのは経営者であるということが往々にしてあるのです。さらに注目すべきは、このHさんや冒頭のR社社長も含めて、私の記憶にある改革ドタキャン社長は、すべて70歳超の創業者だったという共通点もあります。
「ある有名な経営者が言っていました、70歳を過ぎれば老害は誰にでも訪れると。歳をとると守りに入る。やらなくちゃいけないことは分かっていても、いざその段になると変化への対応が考えただけで煩わしくなり、結果頑固になる。あの一件のおかげで私は引退の覚悟ができました。体制を整えて、私は身を引くべきだと。改革は自分抜きでやってもらえば、はじかれる心配もないですから」
社内改革を阻むものが、実は老年に足を踏み入れた社長自身であると言う話。大企業の多くが社長も含めた役員定年を70歳に設定しているのには、それなりの理由があるのだと改めて実感させられるところです。(大関暁夫)