大手自動車メーカー、85歳になるスズキの鈴木修・会長兼社長が決算記者会見で、「90歳まで続投」を宣言したという話がひところ話題になりましたが、先日の取締役会で、社長を退任し、長男の俊宏副社長が昇格する人事を決めました。
鈴木社長は創業家2代目の娘婿で、1978年に先代の後を継いで3代目社長に就任。(社長を兼任しない会長時代を含め)既に40年近い年月にわたりトップとして企業を牽引しています。経営難にあった同社を軽自動車の商品性の向上で立て直し、アジアへの積極進出を展開するなど卓越した経緯手腕を発揮してきました。社長退任後も、会長兼最高経営責任者(CEO)として「続投」するそうです。
2代目になって内紛が勃発
先日も当欄で、後継を育ててこなかった社長の話を取り上げましたが、他にもサンリオの辻信太郎社長87歳、カシオの樫尾和雄社長(6月の株主総会で会長に就任)86歳、キャノンの御手洗冨士夫社長79歳等、名だたる大企業にも後継になかなか道を譲れない経営者がたくさんいるのです。大企業の名経営者ですらスムーズにはいかないことが多い後継へのバトンタッチですから、中小企業経営者でこの問題にお悩みのケースが非常に多いのは、当たり前と言えば当たり前なのかもしれません。
私の銀行時代の話になりますが、取引先にお互いが同級生で仲良しのJ社長とM社長がいました。お二人ともに創業社長で当時既に70代後半。取引先の懇談会で顔を合わせるたびに、「どっちが長く社長にイスに座っていられるか勝負だ」「いやいやお前には負けないぞ」などと冗談を言い合っていたものでした。
ところがある時、M社長が予期せぬ事態で急逝しました。あまりに急な出来事で、すべてを一人で決め一人で引っ張ってきた社長のワンマン体質が、社内の混乱と言う形で改めて浮き彫りになったのでした。しかも社長の死後、後継で常務から2代目社長に就任したご子息と生え抜き社員の専務の折り合いが悪くなり、内紛が勃発。2代目と専務それぞれが製造会社と販売会社に分かれて独立する、という話になって銀行に説明がありました。
社長の座は譲ったものの・・・
銀行としては、2社分割は得策ではない、もし分割を強行するなら取引スタンスを再考せざるを得ない、と明らかな仲間割れと分かる会社分割阻止に向けた説得を試みましたが、時すでに遅しでした。会社は二分され、社員も別れ別れに。製造と販売に分社した2社は銀行の予想通りお互いの協力関係が急速に薄れていき、両社ともに企業としての衰退は傍から見ても明らかな状況に陥ってしまいました。
「Mはさぞや悲しんでいるとこだろうな」。銀行を訪ねてきた同級生のJ社長が、元気なく言いました。M社長の突然の死に、誰よりもショックを受けている様子でした。仲の良い友を失う悲しさもあったでしょうが、自ら同じ高齢の会社経営者と言う立場から、明確な後継を作らずに逝ってしまい、残された者のいさかいで自ら作った会社が分断され衰退していく様には、身につまされるものがあった様子でした。
それからしばらくの間、J社長は銀行に足しげく通い、どうやって後継を育て、どのタイミングで後継に社長のイスを譲るべきか、そんな相談ばかり投げかけてきました。しかし話の端々からうかがわれたのは、自身の会社経営に対する固執でした。そして半年ほどの後に出した結論は、「息子に社長のイスを譲り、自分は会長として後見に徹する」でした。
社長は、ご子息を後継にして形式上は経営をバトンタッチしたのですが、私の目から見るに社長職を退いたとはいえ依然として実質経営者はJ会長であり、それまでの流れと大きく変わったイメージはありませんでした。「これでは何も変わらず、後継は育たない」と思いつつも傍からは手を出すこともできず、そうこうするうちに私は転勤になりました。
「身の引きどころを心得ること」も重要な資質
2年ほどして、支店の取引先懇談会が30周年を迎えたと言うことでその記念パーティに呼ばれ、久しぶりにJ「会長」と再会しました。お目にかかるなり驚いたのは、J氏の肩書がなくなっていたことでした。会長職を退き、完全リタイアされていたのです。あんなに会社経営に固執していたJ氏に、いかなる心境の変化があったのでしょう。
「テレビで嫁いびりの姑のドラマを見ていて思ったのですよ。私は姑だなと。2世帯同居の姑に限って、なにかにつけて嫁をいびりたくなるわけですよ。可愛い息子を取られた悔しさもあるのでしょう。長く経営の立場にいる者にとって会社は、母親から見た可愛い息子と同じです。それをあれこれいじりまわす後継の姿は憎き嫁そのもの。例え実の息子であったとしてもいびりたくなるわけです。目に入れば箸の上げ下げまでいろいろ言いたくなる。一種の老害ですよ。Mくんの会社みたいに、姑が亡くなった途端に小姑がしゃしゃり出ないとも限らん。そんなこんなで、2世帯同居はやめにしました」
J社はその後も順調にご子息が運営しているご様子で安心しました。
ホンダの創業者本田宗一郎氏は66歳にして後継に社長の座を譲ると、以降一切会社には顔を出さなかったと言います。後継は育てるものではなく、むしろ人選をしたら経営者自身が潔く身を引けば勝手に育つものなのかもしれません。身の引きどころを心得ることも、優秀な経営者に求められる重要な資質のひとつであると思わされるところです。(大関暁夫)