社長の座は譲ったものの・・・
銀行としては、2社分割は得策ではない、もし分割を強行するなら取引スタンスを再考せざるを得ない、と明らかな仲間割れと分かる会社分割阻止に向けた説得を試みましたが、時すでに遅しでした。会社は二分され、社員も別れ別れに。製造と販売に分社した2社は銀行の予想通りお互いの協力関係が急速に薄れていき、両社ともに企業としての衰退は傍から見ても明らかな状況に陥ってしまいました。
「Mはさぞや悲しんでいるとこだろうな」。銀行を訪ねてきた同級生のJ社長が、元気なく言いました。M社長の突然の死に、誰よりもショックを受けている様子でした。仲の良い友を失う悲しさもあったでしょうが、自ら同じ高齢の会社経営者と言う立場から、明確な後継を作らずに逝ってしまい、残された者のいさかいで自ら作った会社が分断され衰退していく様には、身につまされるものがあった様子でした。
それからしばらくの間、J社長は銀行に足しげく通い、どうやって後継を育て、どのタイミングで後継に社長のイスを譲るべきか、そんな相談ばかり投げかけてきました。しかし話の端々からうかがわれたのは、自身の会社経営に対する固執でした。そして半年ほどの後に出した結論は、「息子に社長のイスを譲り、自分は会長として後見に徹する」でした。
社長は、ご子息を後継にして形式上は経営をバトンタッチしたのですが、私の目から見るに社長職を退いたとはいえ依然として実質経営者はJ会長であり、それまでの流れと大きく変わったイメージはありませんでした。「これでは何も変わらず、後継は育たない」と思いつつも傍からは手を出すこともできず、そうこうするうちに私は転勤になりました。