明治時代の学歴フィルターをふき飛ばした男 歴史から学ぶ「闘う」方法

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   今回のテーマは「学歴フィルターの歴史」です。今月(2015年6月)頭には、学生Twitterの指摘を発端に、ゆうちょ銀行の学歴フィルター騒動が注目を集めました。

   一方で、何を今さら、と冷めた意見が多かったことも事実です。当連載でも、学歴フィルター・大学名差別については、何度かご紹介させていただきました。その中の「『大学名差別を吹き飛ばす』簡単な方法 現状を変えるのはあなた次第」(2015年2月2日)では、方法論も提示しました。

   まあ、要するに、学歴フィルターのある企業でもダメ元で電話しましょうね、と。

   今回は、学歴差別の歴史を振り返りながら、過去の学生がどう闘ってきたかを検証します。

文系は戦前から1970年代までガチガチだった?

学歴・学校歴が何だ
学歴・学校歴が何だ

   学歴差別は、指定校制度という形であれば今もメーカーが理工系大学・学部を対象として残しています。

   この指定校制度、文系学部でも戦前から1960年代ないし1970年代まで続いていました。

   1959年5月28日付の朝日新聞には、当時の学生の悲痛な声が掲載されています。

「就職のため会社まわりをして、ある会社で『お宅はうちの指定校にはいっておりませんので』と門前払いを食わされた。たまたま一緒になった有名校のA大生は応接室へ。
(中略)
一流校であればキリでも歓迎、二流校ならピンでもお断りてなことにはなっとくがいかない。二流校なるレッテルを押しつけられた大学に通うもののひがみでしょうか」
石渡嶺司(いしわたり・れいじ)
1975年生まれ。東洋大学社会学部卒業。2003年からライター・大学ジャーナリストとして活動、現在に至る。大学のオープンキャンパスには「高校の進路の関係者」、就職・採用関連では「報道関係者」と言い張り出没、小ネタを拾うのが趣味兼仕事。主な著書に『就活のバカヤロー』『就活のコノヤロー』(光文社)、『300円就活 面接編』(角川書店)など多数。
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