先日、東京・渋谷などでファストフード業の労働者を中心とした「時給1500円デモ」が行われ、話題となった。「日本でマトモな生活を送るには時給1500円以上が必要だから、企業はそれだけ払うべきだ」というのが趣旨らしい。
デモ自体はどんどんやるといい。何かを要求するのは当然の権利だし、いろいろ人脈も広がるだろう。特に異性同士が仲良くなる上では、何らかのプロジェクトに参加して共同作業を経験するのがとても効率的だというのが筆者の意見でもある。
とはいえ、デモが時給1500円というゴールに到達するために有効かと言われると、大いに疑問符が付く。いい機会なので簡単にポイントをまとめておこう。
そもそもデモを仕掛ける相手先が違う
こういう場合はちょっと立場を変えて考えてみるといい。というわけで、あなたがスーパーに行って大根を手に取った時のことを想像してみよう。
「私の生産者は子供が2人いて家のローンもたっぷりあるので、マトモな生活を送るには1本当たり1500円の代金が必要なのだ」
と大根に青筋立てて言われたら、きっとあなたはそっと大根を棚に戻しながらこう言うだろう。
「それは政府の仕事だ。私じゃなく政府に要求したまえ」
従業員と雇い主の関係も同じこと。労働市場で付けられた値段以上に必要なら、社会保障政策として政府に要求するといい。というわけで、デモ自体はいいけれども、仕掛ける相手先が間違っているというのが結論である。
こういう運動には、ともすれば左派的イデオロギーを隠し持った運動家が紛れ込み、運動自体を明後日の方向に誘導してしまいがちだ。本来は単純な再分配の問題であり、社会保障政策の範疇で解決すべきなのだが、資本主義自体が嫌いな彼ら運動家としては、なんとかして企業攻撃につなげようと日々ネタを探してうろつきまわっている。良識ある若者は、やたらと企業攻撃したがるしんき臭い人間とは距離を置くことをおススメする。
賃金とは労働の対価
それでも「時給1500円を要求すれば賃上げへのプレッシャーになる」と考える人もいるかもしれない。確かに欧州の一部に最低時給が1500円近い国があるのも事実だ。
ただ、経営側は時給1000円相当の生産性の人間に1500円払うインセンティブはないから、アウトソーシングやら業務フローの効率化やらで生産性の低い人間を切りまくって、残った一部の優秀者に1500円を払うだけのことだろう。確かに最低時給1500円ほどの国にはなるが、物価も失業率もヨーロッパ並みになるだけの話であり、わざわざバイト労働者がデモまでやって要求するような話とも思えない。
とはいえ、他に経営側に時給を上げさせるプレッシャーをかける方法もないではない。それは従業員自身が「よりよい処遇の職に転職すること」である。特に現在は、少子化と団塊世代の引退に伴い、過去20年の間でもっとも転職しやすい環境が実現しつつある。普通の二、三十代であれば、いきなり時給1500円は無理でも、時給1200円程度の職を見つけるのはさほど難しい話ではない。
昨(2014)年、牛丼大手のすき屋でバイトの大量流出が起き、結果的に同社が業務の効率化と時給引き上げで対応せねばならない状況に追い込まれたことは記憶に新しい。同社にバイトの時給を引き上げさせるインセンティブを与えたのは、デモ隊ではなく労働市場の流動性だったわけだ。
最後に、賃金に関するとても重要なことを述べておこう。賃金とは労働の対価に過ぎず、『べき論』の存在する余地は一切ない。右や左から「若いうちは修業と思って我慢すべき」(※下記注)とか、「会社は労働者の生活を保障すべき」なんてことを言う人がしゃしゃり出てきても、相手にするだけ時間の無駄だ。よりよい賃金を得たかったらよりよい賃金の得られる職に就けるよう努力すべきであり、そうやって人材がどんどん転職していくことこそ、労働市場全体の賃金底上げのエンジンとなるはずだ。(城繁幸)
【※注】ホワイトカラー職の中には『修業期間』の必要な専門職があるのも事実だが、少なくともファストフード業界はそうではない。最大のメリットである流動性の高さを積極的に活用した方がいい。