東日本大震災から4年 「あの時の最前線」支えた「誇りと使命感」を動画に

   今日3月11日、東日本大震災から4年を迎えた。未曾有の災害でありながら、記憶や教訓の風化も指摘されるなか、イオンディライト(本社・大阪市)はこのほど、地震発生直後の社員たちの活動などを振り返る動画を作成し、公開した。

   同社はイオングループで、施設管理などを含む「総合ファシリティマネジメントサービス(FMS)」事業を展開している。今回の動画は、「その時」被災地にいた社員たちが取った行動や、その行動を支えた想いなどを伝えようと、当事者らの証言を紹介している。大震災時、「安全・安心を守る企業の社員」として職務に当たった彼ら・彼女ら。そんな社員たちを「突き動かしていたもの」は何だったのか――

イオンディライトの社員が、当時の行動や想いを動画で語る

後方支援の大切さを再認識
後方支援の大切さを再認識

   屋上への脱出、それは、間一髪だった。津波が2.8メートルの高さまで押し寄せたイオン気仙沼店(宮城県)。当時の模様を、永野朗・気仙沼センター長(当時)は動画の中で、こう振り返る。とっさの判断で、通用口に殺到する従業員らを店外屋上へ避難誘導した。一方、永野さんたちは、逃げ遅れたお客さんがいないか見回りをして確認、その後、屋上につながるスロープを一気に駆け上がった。津波が襲ってきたのはその直後、地震発生からわずか20分後だった。

   ぎりぎりまで確認作業を続けた永野さんは、当時の想いについて

「自分の店ですので」
「もしかしたら、まだどこかに(逃げ遅れたお客さんが)いるかもしれない、という頭(考え)もありました」

と振り返り、職務への使命感をにじませた。

   動画には、イオンモール石巻店(宮城県)で環境整備を担っていた責任者の伊藤敏明さんも登場し、当時の状況を伝えている。同店は、津波被害こそなかったが、2週間で2500人もの被災者が身を寄せる臨時避難所となった。

   スタッフたちは、家族が行方不明になったり仲間が命を落としたりと、彼ら自身も被災者であるにもかかわらず、連日、警備や設備補修、掃除などの仕事を続けた。

   その理由について、伊藤さんは「後方支援に徹すること、快適な空間を提供することが私たちの使命と考えています」と、力強く語る。

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