「明確なルール作りと法整備をおこなうべき」という点では意見が一致
こうしてみると、解雇規制緩和「推進派」と「反対派」では意見が真っ向から対立してしまっているように見えるが、解決の糸口はある。双方ともアプローチの違いはあるものの、最終的には「労働者が安心して働ける、明確なルール作りと法整備をおこなうべき」という点では意見が一致しているからだ。
「解雇規制緩和」という軸で論じてしまうから、議論が錯綜してしまうのだ。今や、日本における組織の人的マネジメントのありかたや、人の働き方といった枠組みや仕組みが一体となって変わらなければならない時である。その点、「規制緩和」というより「再定義」というべきであろう。
歴史を振り返ると、高度成長期までの日本では「企業が雇用を丸抱えし、労働組合が経営を監視する」「企業が負担していた雇用と保障については行政が支援する」という役割分担が機能していた。
しかし現在、経営環境が厳しくなって、企業側における福利厚生や雇用も厳しくなっており、ドライな世界に突入しているとも言える。
そして、行政・司法が整理解雇を厳しく判断する理由は、「昇進・昇給」や「退職金」といった日本的雇用慣行の中で、将来への期待を持たせる形で採用して働かせていたのに、その期待を裏切ることになるという、マネジメントとの関係があるからだ。
すなわち、解雇ルールは働き方とともに、マネジメントの仕組みの変革とも同一に変容していくべきであり、解雇の判断だけが変わるということはないであろう。
以下、「反対派」の意見に反論するような形になるが、私の考えを述べていきたい。
・「解雇がしやすくなると失業率が上がる」について
→海外事例との比較もなされるが、こればかりは元々の失業率の絶対値が異なるうえ、失業率が改善したとしても悪化したとしても、それが解雇規制にまつわるものかどうかは判断できないというのが正直なところだ。個々の規制よりも、景気動向や金利、為替相場といった条件のほうがより大きな要因と考えてよかろう。
・「海外各国と比較したときの、日本の解雇規制の緩さ-厳しさ」について
→識者によってこの話題が語られるとき、基となる資料は主に経済協力開発機構(OECD)の「雇用保護指標」(Employment Protection Indicators)であるが、本指標の評価項目は各国のすべての規制を網羅できているわけではなく、同一の規制が国によって異なる評価項目で評価されているなど、根拠として曖昧な要素がある。この資料をもって、各国間の規制の強弱を評価することは難しいのが現状である(OECDも、個別項目を数値的に比較したりはしていない)。
・「会社都合で解雇されやすくなる」について
→普通に考えて、組織に貢献できていない者が解雇されやすく、逆に価値を発揮している者であれば、待遇を厚くしてでも自社に留めておきたいと思うものではないだろうか。組織に貢献できる自信がない人が、恐れて叫んでいるようにも感じられる。
・「解雇を恐れて過重労働」について
→これはむしろ逆だろう。「悪意があるブラックな会社を辞めやすくなる」ということだ。
企業がブラック化してしまう原因の一つに、「正社員の採用基準が厳しいから、再就職は難しそう」→「ブラック企業でも辞められない」→「結局、今の会社にしがみつくしかない」→「そんな社員の存在によって、ブラック企業が生きながらえてしまう」という構図があるからだ。
解雇がしやすくなれば、その分正社員採用の基準も今までよりは下がり、採用されやすくなる。そうすれば、「イヤイヤながら今の会社に残る」社員はいなくなり、ブラック企業の息の根は止まるわけだ。
これは「ブラック企業発生の抑止力」にもなり得る、画期的な方策といえるのではなかろうか。