今回のテーマは前回に続いて大学名差別です。
さて、前回、就活をめぐる言説について、以下の8点に整理しました。
1:大学名差別はそもそもあるのかないのか
2:大学名差別をやっている企業は大企業が中心か
3:大学名差別は受ける前から?それとも結果論?
4:大学名差別の線引きはどのあたり?
5:理工系技術職・研究職採用において、大学の偏差値は影響するのかどうか
6:地方大生が首都圏・関西圏で就活する際もマイナスに影響?
7:大学名差別は昔も今も変わらない?それとも変化している?
8:偏差値の低い学生はそれだけ不利になって当たり前?
このうち、上から順に5点説明したところで文字数が尽きました。というわけで残り3点についてご説明していきます。
大学名差別、実は変化している?
まず先に7番目の「昔も今も変わらない?」からご説明していきます。
就活・採用をめぐる言説でよくある落とし穴は、自身の経験談を中心に据えることです。
経験談はそれはそれで貴重なのですが、問題は昔の話が今も通用する、と勘違いすること。実際には大きく変化しているわけで、特にこの大学名差別については激変しています。
1990年代前半までは大学名どころか学部までこだわっている企業が多数ありました。
『労務事情』2003年7月1日号の「内定模様の推移を読み解く 価値を失った『拘束』」(執筆者は採用・就職アナリストの斎藤幸江氏)には、バブル期の内定者拘束事情をまとめています。「大学ごとのリクルーターを利用した水面下での活動が行われていたのが実態」とあり、そして、リクルーターのいる大学はほとんどが難関大です。それはいいのですが、大学・学部名にこだわりすぎています。
そのエピソードとして、内定者が足りない企業に就活に出遅れた優秀な千葉大生を紹介したところ、
「ダメだ。欲しいのは早稲田の商学部なんだ。政経でも法でも、慶應でもない。早稲田の商学部だ。誰かいませんか?」
今なら、内定者が足りない時に千葉大にいい学生がいれば、早稲田の代わりでもそうでなくても飛びつく企業がほとんどでしょう。
この流れが変わったのは1990年代後半からです。まず、就職協定が崩壊。ほぼ同時期にリクナビ、マイナビ、日経ナビがオープン、ネットの普及もあって、就活に欠かせない存在として定着します。
就職協定が崩壊し、4年生4~5月ごろに内々定が出るスケジュールが定着すると、内定者拘束が消え、大学・学部へのこだわりも緩やかになっていきました。
それに、ネットの普及により、企業はすぐバッシングされてしまいます。その点でも、大学名差別はよく言えば緩やかになったと言えます。悪く言えば、巧妙になったとも言えますが、大学・学部を絞り込んだうえで、というよりはもっと広く見るようになっていることは確かです。